謎の村上氏「村上義明」と「小松城」の歴史

小松城(こまつじょう)は、1576年(天正4)に加賀一向一揆の将「若林長門」によって築かれたとされる。
その後、織田信長の北陸侵攻の過程で丹羽長重の家臣となっていた『村上義明』が城主となる。
この村上義明であるが、武田信玄の物語に登場する信濃葛尾城主「村上義清」の嫡男「義利」の子とされるが真相は不明である。
村上義清は、上田原の戦い、砥石崩れなど武田信玄を苦しめるが、最後は、越後へ逃れ上杉謙信の配下の将となる。
そして、1573年に死去、その時73歳であったことから、嫡男「義利」は53歳、さらにその嫡男「義明」が33歳とする。
義利が丹羽長重の家臣なったのは、1582年の天正壬午の乱後というのは察しが付くがということになる。
ゆえに、過程してみると、丹羽長重の家臣なったのは、1582年の天正壬午の乱後というのは察しが付くが39歳ということになる。
丹羽氏の家伝史料では、12歳で丹羽家に仕えたとあるが、19歳の誤りか、さらに義明の子の誤りか。
村上一族であるのことは、ほぼ間違いないとしても真相は如何に。

小松城址(石川県小松市)

「小松城址」が語りかける村上氏以降の歴史

村上義明(むらかみよしあき)が丹羽家の家臣となったのは、上記の「1582年の天正壬午の乱後というのは察しが付く 」 との理由は、 村上家の主君「上杉家 」と 丹羽長秀の主君「羽柴秀吉 」 (織田信長から羽柴秀吉に) は、 天正壬午の乱以降に羽柴・上杉間が同盟関係になったことからである。
上杉方から羽柴方への人質のひとつであろう。
丹羽家の配下となった義明は、丹羽家の越前・加賀入りに伴って小松城に入城。
その後、丹羽長秀の死後、嫡男「長重」が越前を没収され、新越前領主となった堀家の与力として越前へ。
小松城へは、丹羽長重が入り「北陸の関ヶ原」へ。
そして、小松城址(石川県小松市丸の内町)は、現在も小松戦国物語を語り継ぐ。
小松城は、「小松戦国物語~第5章・小松城主「丹羽長重」の意地!百万石との死闘」にて登場します。

梯川を利用した「小松の浮城」

小松城は、梯川の蛇行によってつくられた沼地を利用した平城であり、「芦城」「小松の浮城」などとも呼ばれた。
梯川の水を引き入れた堀は、まさに浮城そのものである。
小松城は、山口宗永の大聖寺城とともに南加賀の双璧といえよう。

小松城址の本丸櫓から梯川を望む

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