小矢部市にある埴生護国八幡宮(埴生八幡宮)の歴史

小矢部市にある埴生護国八幡宮(埴生八幡宮)の歴史
埴生八幡宮(はにゅうはちまんぐう)は、奈良時代の養老年間に宇佐八幡宮の御分霊を勧請したのが始まりである。
木曾義仲(源義仲)が倶利伽羅峠の戦いにて戦勝祈願したことが「源平盛衰記」に記録されている。
源平の戦いにおけるこの戦いで、義仲がこの「埴生八幡宮」から倶利伽羅峠へ向かったこと、また、平維盛が倶利伽羅峠の「猿ケ馬場(現在の平家本陣跡)」にて本陣を張ったっことなどから、倶利伽羅峠は、北陸における要衝中の要衝であったことが伺える。
当時は、この倶利伽羅峠を超えずして中央から北越へ向かうことは、ほぼ不可能であった。
天平時代には、万葉集でも有名な越中国守「大伴家持」(おおとものやかもち)も、この倶利伽羅峠を超えて中央そして、加賀か越中に赴き、埴生八幡宮にて国家安寧を祈願したと伝えられる。
倶利伽羅峠の戦いは、木曽義仲率いる源氏軍の勝利として終えるが、埴生八幡宮は、その後の戦国期には、前田利家や佐々成政から庇護され、現在まで語り継がれる。
埴生護国八幡宮(富山県小矢部市埴生2992)

国指定重要文化財に指定された「埴生八幡宮 」 社殿
埴生八幡の御祭神:八幡大神(誉田別命)

前田利長が寄進した「埴生八幡」の本殿

本殿は、前田利長が関ヶ原と同年の小松・加賀出兵時に祈願があり、その後寄進された。
祈願書や寄進状は、実際に数十通も残り、社殿は国指定重要文化財に指定されている。
加賀の前田利長は、関ヶ原の合戦の折には、徳川家康を旗頭とした東軍に付き、金沢から中央へ向けて出陣。
その途中に、小松城の丹羽家。
そして、大聖寺城の山口家と戦う事となるが、越前を目前に金沢へ謎の撤退を始める。
しかしながら、関ヶ原の合戦にて勝利した徳川家康から、加賀を安堵され、前田家は、その後も埴生八幡に寄進を続けた。

埴生八幡宮・本殿

木曽義仲の像としては・・日本一の騎馬像。

昭和58年に源平倶利伽羅合戦800年祭を記念し建立された日本一の源義仲像。
日本一の騎馬像というわけではありません。
平安における愛の象徴「義仲」と「巴御前」による恋愛成就。
そして、人生勝負の時には、義仲の騎馬像の前に立ち、武神として崇敬を集めた八幡神で先勝祈願していては如何でしょうか。

日本一の 木曽義仲像

埴生八幡境内には、名水「鳩清水」なども

埴生八幡宮の境内には、資料館、宝物殿のほか、義仲の松、巴の松があります。
宝物殿は、要予約ですが義仲が戦勝祈願を行った際に、奉納したといわれる祈願文などを見ることが可能、そして、双方の松は、それぞれ縁の苗木を譲り受けて育てたものだそうです。
また、倶利伽羅峠の戦いの時に、源氏軍が鳩の案内にて得た鳩清水があり、とやまの名水に指定されています。

名水「鳩清水」はとしみず
名水「鳩清水」

「 義仲の松 」 と「巴の松」

1件のコメント

NHK大河ドラマなどでも度々登場する『平清盛』の戦い · 2022年2月27日 3:01 PM

[…] 富山県小矢部市『埴生護国神社』 の木曽義仲像 […]

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