埴生護国八幡宮(埴生八幡宮)の歴史

木曾義仲が倶利伽羅峠の戦いにて戦勝祈願したことが「源平盛衰記」に記録されている。
義仲がこの「埴生八幡」から倶利伽羅峠へ向かったこと、また、平維盛が倶利伽羅峠の「猿ケ馬場」にて本陣を張ったっことなどから、倶利伽羅峠は、北陸における要衝中の要衝であったことが伺える。戦いは、木曽義仲率いる源氏軍の勝利として終えるが、その後の戦国期には、前田利家や佐々成政から庇護された。

前田利長が寄進した本殿

本殿は、前田利長が関ヶ原と同年の小松・加賀出兵時に祈願があり、その後寄進された。
埴生八幡は、前田利家、佐々成政のほか、「前田利長」、「前田利常」とその夫人「天徳院」も縁ある神社である。

埴生八幡宮・本殿

義仲の像としては・・日本一。

義仲の像としては・・日本一。
人生勝負の時には、義仲の騎馬像の前に立ち、武神として崇敬を集めた八幡神で先勝祈願していては如何でしょうか。

境内には、名水「鳩清水」なども

境内には、名水「鳩清水」なども
埴生八幡宮の境内には、資料館、宝物殿のほか、義仲の松、巴の松があります。
双方の松は、それぞれ縁の苗木を譲り受けて育てたものだそうです。
また、倶利伽羅峠の戦いの時に、源氏軍が鳩の案内にて得た鳩清水があり、とやまの名水に指定されています。

名水「鳩清水」はとしみず
名水「鳩清水」

「 義仲の松 」 と「巴の松」

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