1.金山彦神と金山毘売神
神産みにおいて、イザナミが火の神カグツチを産んで火傷をし病み苦しんでいるときに、カナヤマビメと同時にその嘔吐物から化生した神である。
ちなみに、大便からハニヤシビコ、ハニヤスビメ、尿からは、ミツハメノ、ワクムスヒが生まれている。
そして、ワクムスヒからは、「トヨウケヒメ」が生まれている。
2.津幡町大坪の「金山彦神社」
津幡町「大坪」(おおつぼ)は、加賀、津幡から越中への脇道となるところに位置し、大坪の「坪」から想像出来るように盆地を形成している。
その恵まれた位置環境から、かつて「大坪」には、「聖安寺」(しょうあんじ)が隆盛をきわめていた。
1473年(文明5)から1581年(天正9)までの109年の間、大坪に存在したと伝えられ、その後、前田家により七尾、高岡に至る。
前田家に誘引された聖安寺(現在は、富山県高岡市瑞穂町)の歴史として、現在も大坪には、聖安寺の旧跡碑が残る。
もとは、天台宗寺院であった聖安寺は、浄土真宗に改宗。
津幡も一向一揆の拠点「鳥越弘願寺」を筆頭に、一向宗勢力の歴史が色濃く残る。
天正期を大坪から最終的には高岡まで移されたのか、前田家の思惑も含めて興味深い。
聖安寺が大坪村内から他所へと移った1848年頃、当時の八幡神社と金山彦神社(かなやまひこじんじゃ)が相殿(あいどの)となった。
現在は、八幡の祭神記載がなく、金山彦神社として地元の氏神として親しまれている。
また、金山彦神社の敷地周辺には、アゲハチョウが好む大きな「カラスザンショウ」が存在することからも、大坪地区は、現在でも自然豊かな農村地域として古里が継承されている。
3.岐阜県の南宮大社
金山彦神社の総本宮は、岐阜県の南宮大社(なんぐうたいしゃ)[岐阜県不破郡垂井町]であり、全国の鉱山・金属業の総本宮として古くから信仰を集めている。
南宮山の山麓に鎮座し「国府の南に位置する宮」として「南宮」を名乗るようになったとされる。
南宮山は、大垣市、関ケ原町など広範囲にまたがる標高約400Mの山であり、関ヶ原の戦いにおいては、西軍の総大将「毛利輝元」の養嗣子である「毛利秀元」が本陣を構えた山である。
この南宮山「毛利秀元本陣跡」と南宮大社は、ハイキングコースが整備され観光コースとしお勧めである。
また、周辺には、「吉川広家の陣」「長曾我部盛親の陣」など関ヶ原の戦いにての西軍敗走軍の陣が多く存在し、こちらも楽しめる。
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