河北潟の歴史

現在は、夏の河北潟ひまわり村、河北潟牧場ヨーグルトなど、親子連れの遊び場として人気が高い河北潟。
河北潟は、金沢平野の北部に位置し、「金沢市」「内灘町」「津幡町」「かほく市」にまたがる淡水湖である。
平安時代には、河北潟漁場として人々の暮らしを支えたほか、水上輸送路としての機能を担い、江戸時代から銭屋五兵衛の「河北潟干拓」事業が始まった。
一度頓挫した干拓事業も昭和に入り再び再開。
1964年(昭和39)から20年をかけて現在の姿になり、本格的な農産物生産が可能となった。
上記にも記載したように、河北潟干拓については、銭屋五兵衛が有名であるが、それ以前には、規模の大きさは異なるものの、1673年(延宝元)、前田綱紀により河北潟干拓事業が開始されていた。
その時の成功祈願のため建立したのが津幡町潟端の『加賀神社』である。

津幡町からの河北潟を望む

サンセットブリッジ内灘から河北潟を望む

河北潟を望むには、蓮湖渚公園(れんこなぎさこうえん )などやはり内灘町の高台である。
その中でも、河北潟遠望の最高スポットは、「サンセットブリッジ内灘」と道の駅「内灘サンセットパーク」であろう。
正式名称「内灘大橋」であるサンセットブリッジ内灘は、町のランドマークとして地元から親しまれ、夕方には、日本海に沈む夕陽を楽しめるほか、日中には、河北潟を望むことが出来る。
また、夜間ライトアップされることから、橋を望むことでも楽しめる。
この周辺は、「恋人の聖地」として認定され、「LOVE&BEACH/サンセットブリッジ内灘」として大人気スポットとなっている。

河北潟の白鳥

毎年12月に入ると、河北潟には徐々に白鳥(ハクチョウ)が飛来する。
白鳥は、シベリア、オホーツク海沿岸などの極寒地で繁殖し、冬に日本へ飛来し越冬する。
河北潟以外にも、羽咋市の邑知潟など石川県内にも多数飛来地が存在するが、河北潟には千羽近い白鳥が飛来しているのではないか。
カモのような小柄な鳥と違い、大型な鳥であるハクチョウを間近で見ると不思議な感じがするが、白銀の世界の中で見る白鳥の群れを求めて沢山のカメラマンが訪れる。

河北潟に飛来した白鳥

1件のコメント

前田綱紀を祀る津幡町「加賀神社」と河北潟干拓 · 2023年2月5日 12:51 PM

[…] 津幡町潟端(つばたまちかたばた)の加賀神社(かがじんじゃ)の祭神は、健御名方命、八坂刀売命、、誉田別命、前田綱紀公を祀る。1673年(延宝元)、前田綱紀(まえだつなのり)により河北潟干拓事業が開始。河北潟(かほくがた)は、金沢平野北部「津幡町」と「金沢市」「内灘町」「かほく市」にまたがる淡水湖である。河北潟における大規模な干拓事業は、これが初めてであった。そして、事業成功を祈願して健御名方命(たけみなかたのみこと)を祭神とする「諏訪神社」(すわじんじゃ)が建立される。諏訪神社は、長野県の諏訪湖の近くにある諏訪大社(すわたいしゃ)を総本社とする諏訪信仰(すわしんこう)の神社である。なぜ諏訪神社なのか?河北潟を諏訪湖に見立てたのか、それとも前田家の物部説(もののべせつ)から来たものかは不明である。その後、1909年(明治42)、諏訪神社が花園村利屋町七ツ屋の無格社「八幡神社」と合併することで「松雲神社」と改名。さらに、前田綱紀公の戒名「松雲院殿徳翁」からとった「松雲」が問題視され最終的には『加賀神社』と改称し1915年(大正4)に県社となる。加賀神社の経緯に関する記録は、「神社誌」「河北郡誌」「津幡町誌」によりまちまちである。また、加賀神社(石川県河北郡津幡町字潟端ト10)に所蔵されている古文書の中には、水戸光圀から前田綱紀に宛てた内容も存在する。 […]

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