倶利伽羅「五社権現」

倶利伽羅峠の頂上付近にある「倶利伽羅公園」の駐車場から北方面を眺めると傾斜上に石段が見える。
国見山と呼ばれる山の急斜面にある石段を登りきると倶利伽羅「五社権現」に辿り着く。
権現(ごんげん)とは、仏や菩薩が神など仮の姿で現れた神号であるが、倶利伽羅五社権現は、もともと「四社権現」であった。
四社とは、資料あまりなく唯一の手掛かりとなる「津幡町の神社と祭神の分析―倶利伽羅谷編(河北潟湖沼研究所河北潟歴史委員会)」PDFを参考にすると以下記載がある。
・峰御前八幡社 応仁天皇(おうじんてんのう)
・愛宕社(あぬごしゃ) 軻遇突智命(かぐつちのみこと)
白山社 菊理媛命(くくりひめのみこと)
・大峰座主社 国常立尊(くにのとこたちのみこと)
この四社に長楽寺の現在の手向神社の石堂神殿を加えて五社権現となる。
五社権現は、加賀藩四代藩主「前田綱紀 」(まえだつなのり)が寄進した。

倶利伽羅「五社権現」

108段の石段「百八坂」

108段の石段「百八坂」を上る事により、人間のもつ108の煩悩を石段を踏むことによって消滅させ、また、清浄な身となり五社権現に礼拝する事が出来るという。
この石段は、倶利伽羅の観光スポット「倶利伽羅権現石殿附石段」として大人気である。
この石段を信るのは、かなりきつい。
しかし、煩悩を消滅させながら登りきると、美しい景色を見ることが出来る。
晴れた日には、白山、立山、日本海はもとより、富山方面の二上山まで望むことが出来る。
まだ見たことは無いが富山湾まで見えるらしい。

小矢部市街
108段の石段「百八坂」

1件のコメント

倶利伽羅城と倶利伽羅堡の謎を解く · 2022年4月29日 8:01 PM

[…] 倶利伽羅城(くりからじょう)と倶利伽羅堡(くりからほう)の存在。河北郡史にも「倶利伽羅堡址 今其地に詳にせず・・」とある。倶利伽羅城は、現在の倶利伽羅公園と倶利伽羅五社権現がある国見山に存在したとされる。倶利伽羅の東には、小矢部方面に源氏ヶ峰城が存在し、当然頂上に近い倶梨伽羅には、城があっても何ら不思議ではない。しかし、「倶利伽羅峠の戦い」のあった1100年代は、平維盛が猿ケ馬場に本陣を置いたことから、特に城としての機能ではなく、砦レベルに過ぎないと想定出来る。また、1500年代の豊臣秀吉の佐々成政征伐「富山の役」には、成政が国境封鎖をしたと越能賀三州誌に記録が残る。以上のことから、倶利伽羅にあった要塞は、倶利伽羅城ではなく、正式には、倶利伽羅堡であったと思われる。佐々成政は、倶利迦羅不動寺、手向神社がある「倶利伽羅堡」と田近越の脇道を押さえる「一乗寺城」で加賀越中国境を固める。対する前田利家は、津幡城、朝日山城を固めた。 […]

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