津幡「加賀神社」の歴史

津幡町潟端の加賀神社(石川県河北郡津幡町字潟端ト10)の祭神は、健御名方命、八坂刀売命、、誉田別命、前田綱紀公を祀る。
1673年(延宝元)、前田綱紀により河北潟干拓事業が開始。
そして、事業成功を祈願して健御名方命(たけみなかたのみこと)を祭神とする「諏訪神社」が建立された。
その後、1871年(明治4)、諏訪神社が八幡神社と合併することで『加賀神社』改称し1915年(大正4)に県社となる。
加賀神社に所蔵されている古文書の中には、水戸光圀から前田綱紀に宛てた内容も存在する。

前田綱紀を祀る津幡町「加賀神社」

河北潟干拓と潟端

河北潟干拓は、1673年(延宝元)、兼六園の作庭者でもある五代藩加賀五代藩主「前田綱紀」により始まり、1840年代には、「銭屋五兵衛」によって遂行される。
しかし、銭屋五兵衛埋立工事疑獄事件が勃発し銭屋一家は断絶。
その後は、昭和38年から実施された「国営河北潟干拓土地改良事業」によって、河北潟の総面積約2千2百haの内、約千三百haが干拓され、現在の河北潟干拓地の姿になった。
津幡町の潟端(かたばた)の地名は、河北潟の縁を干拓したことに由来します。
ちなみに、加賀神社の正式な入り口は、北中条の三輪神社と同様に旧北陸道から入る。


1件のコメント

白鳥の飛来地『河北潟』の歴史 · 2022年12月17日 9:35 PM

[…] 現在は、夏の河北潟ひまわり村、河北潟牧場ヨーグルトなど、親子連れの遊び場として人気が高い河北潟。河北潟は、金沢平野の北部に位置し、「金沢市」「内灘町」「津幡町」「かほく市」にまたがる淡水湖である。平安時代には、河北潟漁場として人々の暮らしを支えたほか、水上輸送路としての機能を担い、江戸時代から銭屋五兵衛の「河北潟干拓」事業が始まった。一度頓挫した干拓事業も昭和に入り再び再開。1964年(昭和39)から20年をかけて現在の姿になり、本格的な農産物生産が可能となった。上記にも記載したように、河北潟干拓については、銭屋五兵衛が有名であるが、それ以前には、規模の大きさは異なるものの、1673年(延宝元)、前田綱紀により河北潟干拓事業が開始されていた。その時の成功祈願のため建立したのが津幡町潟端の『加賀神社』である。 […]

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