北陸の関ヶ原へ

徳川家康(とくがわいえやす)率いる東軍十万と、石田三成(いしだみつなり)率いる西軍十万が関ヶ原(せきがはら)に迫った。
その後、有名な関ヶ原の戦いが起きるわけであるが、戦いは、関ヶ原だけに限らなかった。
東北では、伊達政宗(だてまさむね)と上杉景勝(うえすぎかげかつ)が争い、九州では黒田如水(くろだじょすい)が野心を秘め、九州席捲を目論む。
そして北陸では、前田利長(まえだとしなが)が中央の家康と合流するため、北国街道を南へ進撃を開始した。
これが世に言う「北陸の関ヶ原」である。
前田軍が中央へ向かうには、まず小松を通過しなければならない。
小松城(こまつじょう)には西軍方に付いた剛将、丹羽重長(にわながしげ)が手薬煉をひいて待っている。
1600年(慶長5)七月二十六日、前田軍は二万五千の大軍を率いて金沢城(かなざわじょう)を発った。
松任、水島を経由し、手取川を渡り和田山を目指す。
三道山の一部ともいえる和田山にある和田山城(わだやまじょう)に本陣を構えた前田軍。
その報を聞き、隙を伺う丹羽軍の間で、北陸の関ヶ原が始まろうとしていた。

水島神社[白山市水島]前田軍は松任から水島、和田山へ進軍

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