白山市の金運パワースポット「金剣宮」

正式文献では、「金劔宮」(きんけいぐう)とされるが、ここでは、「金剣宮」と記載する。
「金剣宮」(きんけいぐう)は、天津彦火瓊瓊杵尊 菅原道真 大山咋命 少彦名命を祭神とした金剣宮は、鶴来町の町名「つるぎ」にも見られるように、現在の鶴来地区に古くから存在した。
記録では、紀元前100年頃に存在したとされ、実際に存在した可能性が高い最初の天皇「崇神天皇」の時代に遡る。
中世より白山七社の一に数えられると同時に、「白山本宮」「三宮」「岩本」とともに本宮四社に数えられ、
全国でも、岐阜県に金劍神社(こんけんじんしゃ)、福井県に金劔神社(かねぎじんじゃ)、そして石川県白山市(旧松任)にも松任金剣宮(まっとうきんけいぐう)が存在することから、白山市鶴来「金剣宮」のご分霊を奉戴して広まった事が伺える。
また、金劔宮は、「金」がつくこと、また、県内でも最も古い歴史を持つ神社であることから、「金運」パワースポットとして有名である。
さらに、全国的にも日本三大金運神社のひとつとして知られる。
私も、会社経営をしている時代は、白山比咩神社よりは、商売繁盛のため「金剣宮」を参拝した思い出が残る。

金劔宮(石川県白山市鶴来日詰町)

ここにも義経伝説!金剣宮の「義経腰掛石」

倶利伽羅の戦いにて平家の軍勢を破った木曽義仲(源義仲)が、上洛途中に金剣宮の神恩として、鞍置馬20頭を寄進するなどを行った。
これが事実であれば、義仲は、倶利伽羅から、津幡町「王城」を経て鶴来、加賀へ向かった事になる。
また、源義経が兄頼朝に追われ奥州へ落ち延びる際に、金剣宮に参拝したと伝わる。
上記の信憑性も乏しいが、さらに、境内の大石に腰を掛け、一閑寺手取川とその情景を眺めたとも伝わり、義経腰掛石が今でも残る。
これも事実であれば、義経は、京、越前から剣を経て奥能登へ向かった事となる。
義経伝説も残る鶴来であるが、一閑寺、白山比咩神社、舟岡山城跡、そして金剣宮となかなかに歴史が深く、歴史観光にピッタリのスポットが揃った町であります。


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