鳥越城攻めにおける最初の難関「舟岡城」の歴史

加賀『舟岡城』は、加賀一向一揆の将「鈴木出羽守」が鳥越城の支城として手取川に面した舟岡山(標高178メートル)に築いた城である。
鳥越城の入口に当たり、攻める織田勢にとっては、最初の関門に当たる。
鳥越城二曲城の陥落前には、当然の如く落城していたが、後に奥深い鳥越地域の重要性が低くなると同時に、平野部に最も近い鶴来の拠点として舟岡山城が暫く機能していたと見られる。
織田勢の占拠後、当初は、織田配下の将「丹羽長秀」の家臣である早谷五左衛門が入ったが、後に、前田利家の家臣「高畠定吉」が城主となった。
本丸付近には、石垣の跡も残り、手取川も望めるスポットも!!
加賀一の宮駅から舟岡山を発見すると、簡単に行けそうであるが、白山比咩神社に隣接する登り口がおすすめ。

舟岡城跡(白山市八幡町)

鶴来「舟岡山」と加賀一の宮駅

現在、廃駅となった北陸鉄道石川線の加賀一の宮駅(かがいちのみやえき)。
廃駅となった今は、バス停「一の宮」となり、駅舎は、そのまま残されマニアスポットとなっている。
国の登録有形文化財である加賀一の宮駅は、「旧加賀一の宮駅」と改名され石川県道302号手取川自転車道線(手取キャニオンロード)の休憩施設などとして再利用されている。
舟岡城跡にも近く、鶴来には、酒蔵、醤油、味噌などの懐かしい雰囲気のお店が並び、白山比咩神社には、大勢の参拝客が訪れる。
白山比咩神社以外にも、金劒宮一閑寺もお勧めです。


3件のコメント

二曲城と大日川から見る白山麓門徒王国 · 2023年1月11日 10:49 PM

[…] 二曲城跡(現在の白山市出合町)は、鳥越城(とりごえじょう)とともに加賀一向一揆国の将「鈴木出羽守」(すずきでわのかみ)の拠点として双璧をなした山城である。築城年は、鈴木氏の屋敷と連動していたことから、鳥越城の強化改築より早く存在していたものと思われる。鳥越城と同じく、国指定史跡である二曲城(ふとげじょう)の歴史的価値は高く堀も備えていた。大日川を挟み鳥越城と二曲城、そして舟岡城が連絡を取り防御を固めていた。流れ、二曲城を突破するとようやく、鳥越城に辿り着く。鳥越城と同じく織田信長の北陸侵攻軍の長「柴田勝家」により落城するも、鈴木出羽守を失った門徒の山内衆が再び奪取。その翌年、勝家の配下「佐久間盛政」により白山門徒は壊滅し門徒ら300人が磔に処せられる悲惨な結末となった。 […]

白山市の金運パワースポット「金劔宮」と「鶴来」を観光する · 2023年1月12日 2:45 PM

[…] 倶利伽羅の戦いにて平家の軍勢を破った木曽義仲(源義仲)が、上洛途中に金剣宮の神恩として、鞍置馬20頭を寄進するなどを行った。これが事実であれば、義仲は、倶利伽羅から、津幡町「王城」を経て鶴来、加賀へ向かった事になる。また、源義経が兄頼朝に追われ奥州へ落ち延びる際に、金剣宮に参拝したと伝わる。上記の信憑性も乏しいが、さらに、境内の大石に腰を掛け、手取川とその情景を眺めたとも伝わり、義経腰掛石が今でも残る。これも事実であれば、義経は、京、越前から剣を経て奥能登へ向かった事となる。義経伝説も残る鶴来であるが、一閑寺、白山比咩神社、舟岡山城跡、そして金剣宮となかなかに歴史が深く、歴史観光にピッタリのスポットが揃った町であります。 […]

上杉謙信が苦戦した「七尾城の戦い」が物語る能登七尾城 · 2023年9月28日 5:52 PM

[…] 七尾城陥落後、上杉謙信と柴田勝家率いる織田軍団が加賀の手取川にて激突し「手取川の戦い」が開戦。(戦国物語探訪シリーズ「手取川戦国物語」を参考)上杉軍により陥落した七尾城ではあったが、冬になると謙信率いる上杉軍本隊が越後へ一時帰還。それを機に、援軍要請に信長のもとに訪れていた長連龍が、織田軍の援軍と共に七尾城を奪還した。その後、前田利家が七尾城入りするが、間もなく利家出世の象徴となる「小丸山城」を築城し、本拠を港近くの平地に移す。さらに、利家が金沢へ大出世を遂げた頃に勃発した佐々成政との抗争時には、利家の兄「前田安勝」(まえだやすかつ)が小丸山城と共に七尾城を守り、抗争終結後に利家の次男「前田利政」(まえだとしまさ)が暫く七尾城に入るが1589年(天正17)廃城となり、七尾城の歴史が幕を閉じる。七尾城跡の石垣は、現在2010以降に行われた調査により面白い情報がもたされた。七尾城を正式な居城として使用しなかった利家であるが、石垣の改築はおこなわれたらしい。特に、鳥越城の戦いで登場する、白山市の鶴来「舟岡城」と石垣の形式が一致するという情報は面白い。今後の「七尾城跡」の石垣調査が楽しみである。 […]

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