戦国期における能登「七尾城」の歴史

七尾城の歴史は古い。
もともとは、戦国時代の初め(16世紀前半)のころに能登国守護・畠山氏が築いたとされる。
その後は、繁栄を極めたが戦国期も終盤、畠山家後継問題が発生。
さらに、越後の龍「上杉謙信」が上洛を開始する。
畠山家の方針は、大きく二つに別れた。
一つは、遊佐続光、温井景隆らが上杉謙信に従う上杉派。
もう一つは、北陸侵攻中の戦国の覇王「織田信長」に援軍を求める「長続連」を中心とした織田派である。
主君の畠山春王丸が幼少のため、この両派が激しく争う中、遂に上杉軍の七尾城攻めが始まった。

広大な七尾城の石垣

上杉謙信の七尾城攻め

内紛状態にて上杉軍の攻撃を受ける形となった七尾城は、遊佐ら上杉派の裏切りにより落城。
長続連は、遊佐らに殺害され、長続連の子「長連龍」は、信長に援軍要請のため城を離れていたが援軍は間に合わなかった。
軍神と謳われる謙信をもってしても1度目の七尾城攻めは失敗に終わっている。
七尾城は、日本有数の堅城なのである。
その後、七尾城は、日本三大山城として天下に名を轟かせた。
七尾城を落城させた謙信は、その胸中を詩にした。
<霜は軍営に満ちて、秋季清・・・・・越山併せ得たり>
遂に越中と能登を併合したぞ。
謙信の心は、感無量だったことであろう。
その後、この詩は「九月十三夜」九月十三夜陣中作として誕生したのは有名である。

九月十三夜陣中作

霜は軍営に満ちて 秋気清し
数行の過雁 月三更
越山併せ得たり 能州の景
遮莫 家郷の 遠征を思うを

霜は上杉軍の陣営に満ち満ちて、秋の気は清く澄みわたり、すがすがしい。
空を仰ぐと、幾列かの雁が鳴き渡っており、夜半の月は皎々と冴えわたっている。
(能登のありかは、月を参考とする説もあり)
遂に越後、越中と能登も併合し、能登の雄大な景色が眺められることうれしい。

上杉謙信が絶景の七尾城を望む
上杉謙信、絶景の七尾城を望む

陥落後の七尾城

上杉軍に堕ちた七尾城ではあったが、冬になると謙信率いる上杉軍本隊が越後へ一時帰還。
それを機に、援軍要請に信長のもとに訪れていた長連龍が、織田軍の援軍と共に七尾城を奪還。
その後、前田利家が七尾城入りするが、間もなく「小丸山城」を築城し、本拠を移す。
利家の次男「前田利政」が暫く七尾城に入るが1589年(天正17)廃城となり、七尾城の歴史が幕を閉じる。


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