1.戦国期における能登「七尾城」の歴史

七尾城の歴史は古い。
もともとは、戦国時代の初め(16世紀前半)のころに能登国守護・畠山氏が築いたとされる。
その後は、繁栄を極めたが戦国期も終盤、畠山家後継問題が発生。
さらに、越後の龍「上杉謙信」が上洛を開始する。
畠山家の方針は、大きく二つに別れた。
一つは、遊佐続光、温井景隆らが上杉謙信に従う上杉派。
もう一つは、北陸侵攻中の戦国の覇王「織田信長」に援軍を求める「長続連」を中心とした織田派である。
主君の畠山春王丸が幼少のため、この両派が激しく争う中、遂に上杉軍の七尾城攻めが始まった。

広大な七尾城址に残る石垣

2.上杉謙信の七尾城攻め

内紛状態にて上杉軍の攻撃を受ける形となった七尾城は、遊佐ら上杉派の裏切りにより落城。
長続連は、遊佐らに殺害され、長続連の子「長連龍」は、信長に援軍要請のため城を離れていたが援軍は間に合わなかった。
軍神と謳われる謙信をもってしても1度目の七尾城攻めは失敗に終わっている。
七尾城は、日本有数の堅城なのである。
その後、七尾城は、日本三大山城(他は、春日山城月山戸田城)として天下に名を轟かせた。
七尾城を落城させた謙信は、その胸中を詩にした。
<霜は軍営に満ちて、秋季清・・・・・越山併せ得たり>
遂に越中と能登を併合したぞ。
謙信の心は、感無量だったことであろう。
その後、この詩は「九月十三夜」九月十三夜陣中作として誕生したのは有名である。

3.九月十三夜陣中作

霜は軍営に満ちて 秋気清し
数行の過雁 月三更
越山併せ得たり 能州の景
遮莫 家郷の 遠征を思うを

霜は上杉軍の陣営に満ち満ちて、秋の気は清く澄みわたり、すがすがしい。
空を仰ぐと、幾列かの雁が鳴き渡っており、夜半の月は皎々と冴えわたっている。
(能登のありかは、月を参考とする説もあり)
遂に越後、越中と能登も併合し、能登の雄大な景色が眺められることうれしい。

上杉謙信が絶景の七尾城を望む
上杉謙信、七尾城から絶景の七尾湾を望む

4.陥落後の七尾城と「七尾城跡」の石垣調査

七尾城陥落後、上杉謙信と柴田勝家率いる織田軍団が加賀の手取川にて激突し「手取川の戦い」が開戦。(戦国物語探訪シリーズ「手取川戦国物語」を参考
上杉軍により堕ちた七尾城ではあったが、冬になると謙信率いる上杉軍本隊が越後へ一時帰還。
それを機に、援軍要請に信長のもとに訪れていた長連龍が、織田軍の援軍と共に七尾城を奪還。
その後、前田利家が七尾城入りするが、間もなく利家出世の象徴となる「小丸山城」を築城し、本拠を港近くの平地に移す。
利家の次男「前田利政」が暫く七尾城に入るが1589年(天正17)廃城となり、七尾城の歴史が幕を閉じる。
七尾城跡の石垣は、現在2010以降に行われた調査により面白い情報がもたされた。
七尾城を正式な居城として使用しなかった利家であるが、石垣の改築はおこなわれたらしい。
特に、鳥越城の戦いで登場する、白山市の鶴来「舟岡城」と石垣の形式が一致するという情報は面白い。
今後の「七尾城跡」の石垣調査が楽しみである。

5.七尾城主「畠山義隆」は、平氏?

畠山氏のルーツは、北条氏により命を奪われた(畠山重忠の乱)畠山重忠の後継として、畠山家を受け継いだ源義純足から能登畠山氏の歴史は始まる。
もともとは、坂東八平氏の一つである「秩父平氏」の流れを汲む源氏の家であった。
七尾城址のある能登国は、加賀国より早く建国された歴史があり、「山王神社」「七尾城址」「小丸山城跡」を中心に歴史を研究すると、およその七尾の形が見えてくる。


3件のコメント

第10章・④政宗の想い | 金沢にて家康との最終決戦のため、伊達政宗もいざ七尾港へ · 2022年2月27日 2:47 PM

[…] 戦国末期、前田利家が能登「小丸山城」に入る以前の「七尾」は、能登畠山氏が七尾城主として能登を支配していた。畠山氏は、桓武平氏の流れを組む名家として能登国守護となり七尾城を築く。栄華を極めた畠山氏であるが、1576年(天正4)上杉謙信の西上が本格化。謙信は、上洛する過程で春日山城と共に五大山城に数えられる堅城「能登七尾城」を、放置するわけにはいかなかった。織田信長との決戦の前に、七尾城を落としておきたい謙信は、遂に七尾城の攻城戦に着手する。これが、「九月十三夜」で有名な『七尾城の戦い』である。その後、七尾城を攻め落とし「手取川の戦い」にて織田信長軍を破った謙信も志半ばでこの世を去る。謙信亡き七尾には、織田信長配下の『前田利家』が入るが、山城の不便さを理由に七尾湾に近い平地の『小丸山城』を築き「七尾港」を整備した。フィクションである「薩摩の風に送られて」においては、その七尾港に伊達政宗が寄港した設定となっている。 […]

桜の名所「小丸山城址公園」と前田利家が築いた出世の象徴「小丸山城跡」 · 2023年1月14日 12:55 PM

[…] 前田利家、出世の象徴として面影が残る七尾「小丸山城跡」小丸山城は、前田利家が織田信長の北陸侵攻の功として、能登一国を与えられた時に築城した利家出世の象徴の城である。利家は、難攻不落と呼ばれた能登「七尾城」には、山城という理由にて入城しなかった。小丸山城は、北は、七尾湾に面し、東西南は、御祓川を天然の要害とした城であった。城の規模としては、小規模であるが現在の七尾港を港に持ち要害に囲まれた見事な街づくりを形成している。また、御祓川を挟み北には、現在の山の寺寺院群を築いたところも、後の金沢城の寺院群と共通する点である。前田利家は、戦国武将の中でも最も一向宗(一向一揆勢)を知り尽くした武将である。山の寺寺院群は、北の守りにも備えたと伝わるが、金沢の寺町寺院群と同様に一向宗対策の面が強かったのではないか。 […]

七尾「山王神社」として慕われる大地主神社の歴史 · 2023年1月14日 1:56 PM

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