倶利伽羅峠の戦い後に木曽義仲が逗留した「王城」

倶利伽羅峠の戦いにて勝利した「木曽義仲(源義仲)」は、倶利伽羅古戦場近くにある手向神社(たむけじんじゃ)に太刀を奉納。
しばらく、津幡町北中条の「王城(おうじょう)」に入った。
その後、現在の県道215号線沿いに花園、堅田、平岳野と兵を進め平家敗残軍と対峙する。
手向神社には、太刀が残っておらず太刀奉納されたかは、不明である。
津幡町北中条の「三輪神社」、花園の「波自加弥(はじかみ)神社」、堅田の譽田別(ほんだわけ)神社、平岳野(金沢駅西)の平岡野神社など、このルートには、木曽義仲伝説が多く残る。
また、上杉謙信の加賀・能登侵攻時にも王城に一時的な陣を張った。

県道215号線 から望む、津幡町北中条「王城」

木曽義仲という漢

義仲の歴史史料は数少なく、平家物語のみが唯一の生涯を探る資料となっている。
平家物語の中では、その雄姿を見ることが出来るが、他の物語としては、殆どが悪役と化しているのが残念である。
しかし、長野県木曽町には、木曽町にゆかりを持つ木曽義仲公や巴御前の存在を後世に継承することを目的に1992年に「義仲館」がオープンされた。
旭将軍とも謳われた木曽義仲に会いに行くとよい。
義仲館 長野県木曽郡木曽町日義290-1

県道215号 沿いから見える金沢市利屋町「日吉神社」

旧北国街道における脇道「国道215号線」を散策する

倶利伽羅峠の戦いにて大勝利した木曽義仲と源氏軍が傷を癒した「北中条城」(きたちゅうじょうじょう)の別名をもつ「王城」。
現在でも、この「王城」と「三輪神社」以外にも、県道215号線沿いには、浅田の「井上三輪神社」、南中条の「八幡神社」など、旧北国街道の脇道としての歴史を色濃く残す。


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