「万葉集」に登場する手向神社。

歴史書「日本三代実録」に「手向の神」と記され、「万葉集」にも登場する手向神社。

旧北国街道(旧北陸道)沿いに位置し「倶利迦羅不動寺」の境内に存在する「手向神社」は、万葉集で有名である「大伴家持」と親睦深い「大伴池主」の間の和歌に「となみやま」「たむけのかみに」という文字が記されることから、両名ゆかりの地とも考えられる。

倶利迦羅不動寺、そして長楽寺、手向神社を掘り下げることで、我が国の神仏混習から神仏分離令、廃仏毀釈による寺社の関係が明らかに。

御祭神:神功皇后 素盞嗚命

「日本三代実録」や「万葉集」にも登場する手向神社。
旧北陸道から上る「手向神社」

手向神社の両部鳥居

両部鳥居(りょうぶとりい)とは、本体の鳥居の柱を支える形で2本の主柱を4本の稚児柱で支えるものである。
両部とは、密教の金胎両部(金剛・胎蔵)を差し、神仏習合にみられる。
また、四脚鳥居、稚児柱鳥居、権現鳥居、枠指鳥居などの別名が存在する。
神仏習合に見られる両部鳥居は一見の価値あり。

手向神社の両部鳥居(りょうぶとりい)
手向神社の両部鳥居(りょうぶとりい)

手向神社石堂神殿

不動信仰との習合にて長楽寺(ちょうらくじ)であった「手向の神」。
しかし、明治の神仏分離令によって、長楽寺は廃され、手向神社となる。
北陸の仏像などを拝見するにあたり、廃仏毀釈が激しかった薩摩とは異なることが伺える。
その後、本殿には加賀藩二代藩主(藩主としては二代目)「前田利常」が兄「前田利長」の病気平癒を祈願して寄進した長楽寺不動堂であった「石堂神殿」である。

手向神社周辺には、倶利迦羅不動寺、倶利伽羅古戦場のほか地元野菜の直売所(三州農園☆直売所)があります。

また、倶利迦羅不動寺と同じく、旧北陸道に隣接する「手向神社」ですが、初めての方は、参拝する前に「不動ヶ池」に立ち寄ることをお勧めします。

旧北国街道沿いの駐車場から入る「不動ヶ池」入口


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