①前田利長、和田山城(能美市)に着陣

一万を超える軍勢を率いて金沢城から出陣した前田利長。
小松城の丹羽軍の情報を探りながら、まずは、松任城に入場した。
七月二六日、能美の和田山城に逗留。
和田山上は、「和田山・末寺山古墳群」も存在する丘陵地「和田山」に存在した。
本格的に、小松城攻めの気配を見せる前田軍。
しかし、小松城攻めを主張する利長の弟「前田利政」と、危険性の高い小松城をおき、大聖寺攻めを優先とする高山長房との間に意見が割れた。
「目先の小松城を先に落とすのが常套手段であろう」
「わが隊のみで充分、小松を落とす」
武断派の利政は強気である。
「それは無理でござろう」
「長重は、小松城に篭るのは見えてござる」
長房も譲らない。

和田山城跡(石川県能美市和田山)

②前田利政、 高山右近(高山長房)2つの主張

このやり取りを見ていた利長は、溜息をつく。
<どちらでもよいが・・・>
利長の胸中は複雑であった。
もともと今回の出陣に関して、乗り気だった訳ではない。
家康に心底屈服している訳でもない。
母を人質にとられた前田家として、旗幟を鮮明にしただけに過ぎなかった。
<今は、無駄な血を流す時ではないか>

③利長、大聖寺へ兵を進める

まだ利長は、長重がこの大軍をみて降参してくる事を祈っていた。
そして、中央へ急ぐ意味もいまだに探していた。
「大聖寺を、先に落とす」
利長のこの一言で、一応の場が収まったが、利政を含む武断派は不服そうである。
利政は、渋々承知し部屋を退出した。
その姿を見て、利長が苦笑する。

④和田山城跡~古墳群も存在する石川県能美市の和田山

能美市と小松市との境界にて、国指定史跡「和田山・末寺山古墳群」が存在し、三道山と呼ばれていた。
三道山とは、和田山を含むいくつかの山の総称という説が強い。
頂上より見下ろすと、戦略的に非常に重要な地点であったことが伺える。
戦国期、和田坊が築城し、織田信長の北陸侵攻時に柴田勝家によって落城したと伝えられる。

「第二章・北陸の関ヶ原昂揚!前田軍動く」を読む


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