富山城が存在する現在の富山市は、東西に延びる北国街道(現在の国道8号線を担う)から富山を起点として飛騨街道(現在の国道41号線を担う)へと続く越中の要衝である。西に神通川、東に常願寺が流れ、それを天然の要害とする。

戦国期に越中守護職「神保長職」が築き、その後、越後の上杉謙信との争いの中、長職の子「神保長住」そして、越飛戦国物語の主人公「佐々成政」と続く。

本能寺の変にて織田信長がこの世を去り、秀吉を中心に時代が動く。
当時、秀吉の格上であった丹羽長秀、細川幽才、そして、成政の盟友であった前田利家までもが秀吉の軍門に下った。
プライドの高い成政に、秀吉の配下となる選択肢はなく、後に「前田・ 佐々戦争」と呼ばれる抗争を加賀・能登・越中で繰り広げる。
また、敵は豊臣秀吉、前田利家だけではなく、越中の上杉景勝とも激しく戦った。
東西に敵を抱えた成政は、数少ない味方であった「神保長住」、飛騨の「姉小路頼綱」と共に戦い続けたが富山城にて身動きが取れない状況まで窮地に陥る。
有名な「さらさら越え」にて、徳川家康に最後の望みを託すが失敗。
その後、富山の役が本格化。
秀吉方が白鳥城、安田城から富山城を睨みを利かせ、成政が遂に降伏する。

一説には、瀧廉太郎「荒城の月」の着想の元になった城と噂され、堀の周りを散策するコースが整備されている。
敷地内には、富山市郷土博物館が存在し、巨石が使われた、虎口枡形の石垣も学術的にも貴重な存在である。


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