帰雲城の主「内ヶ島氏理」

内ヶ島氏理(うちがしまうじまさ)は、飛騨の国人として「白川郷」を中心に繁栄した小大名である。
しかし、本能寺の変で信長がこの世を去り、後継レースを勝ち抜いた羽柴秀吉が織田家臣で最後の敵、越中の佐々成政征伐に乗り出すことで、内ヶ島家は揺れた。
内ヶ島家は、豊臣秀吉の佐々成政征伐「富山の役」では、佐々成政に付き秀吉方の将「金森長近」と戦う。
当時は、佐々成政に従い氏理は、飛騨を留守にしていたため、代わりに荻町城主「山下氏勝」が帰雲城に入っていた。
その後、帰雲城の有力支城である「向牧戸城」が落城したことで降伏。
金森長親配下として所領安堵されるが、天正地震の被害を受け死亡。
内ヶ島家が断絶する。

しかし、内ヶ島一族でもあった山下時慶・山下氏勝父子は生き延び、特に、氏勝は有能にて徳川家に名古屋城築城を献策したと伝えられる。

天正地震で沈んだ城と埋蔵金伝説

本当に、ここに城があったのか?
この帰雲城は、天正十三年に起こった地震により、一族もろとも地の中に沈んだとされる。
現在の白川村保木脇説が一般的であり、有力説である。

内ヶ島氏の領内に金山があったことから、埋蔵金伝説も残る。

雲が帰ると伝えられるほど雄大な、後ろの山肌を眺め想像してみるとよい。

石垣には姫の横顔、武将の面影が見られ、神水が湧き出る。

帰雲神社の神水

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