1.江馬氏内紛と川中島の戦いから誕生した「飛騨神岡城」

1489年には、禅僧「万里集九」(ばんりしゅうく)が高原諏訪城を訪れたことが文集記載された記録が残る。
上記から、15世紀後半には、既に存在したと思われる高原諏訪城(たかはらすわじょう)。 
それから約70年後の1564年(永禄7)、その時代の高原諏訪城主は、江馬時盛(えまときもり)と代わっていた。
当時、甲斐の虎「武田信玄」と越後の龍「上杉謙信」の争いが続く。
飛騨においても江馬氏が内紛状態であった。
その江馬氏の内紛に、武田、上杉の領家が軍事介入。
武田は、江馬時盛を支援。
そして上杉は、江馬輝盛(えまてるもり)を支援する。
越中侵攻も視野に入れた信玄は、1564年(永禄7)越中侵攻のため、北飛騨の江馬時盛に「神岡城」築城を命じた。
時盛が神岡城(かみおかじょう)の築城に着手したことにより、江馬氏内紛も激化。
神岡城には、武田二十四将の一人「山県昌景」が援軍として駆けつけたとされる。
時盛と輝盛の戦いは、時頼最終的には、山県昌景(やまがたまさかげ)の援軍もあり江馬時盛が勝利。
その後謙信は、川中島に出陣。
戦国時代における最強対決「第5回川中島の戦い」が始まった。
この戦いも勝敗が着かず引き分けに終わる、
以降、謙信の飛騨における影響力が薄れるが、謙信が関東出兵に専念したためと思われる。
そして飛騨は、時盛に敗れた輝盛も武田方配下として江馬氏内紛も終結となった。

飛騨神岡城(岐阜県飛騨市神岡町城ヶ丘)

神岡観光そして、お花見の名所「神岡城跡」

川中島の戦いに関連、また、あの天下の赤備え「山県昌景」が訪れたなど驚きの歴史がある神岡城(岐阜県飛騨市神岡町)であるが、桜の名所としても有名です。
そんな、神岡の桜の名所も、危機にさらされた時期があったという。
急斜面にあることで手入れ不足が響き、花を咲かせる木が30本程にまでに減少。
そこで、飛騨市と神岡町がボランティアグループを発足。
苗木を植えるなどで復活を目指したらしい。
私が桜の花見シーズンに神岡城とその周辺を訪れた時には、とても美しく桜が咲き誇っていたので、既に復帰していると思われるが気のせいか。
また、敷地内には、歴史資料館「高原郷土館」もあり神岡の町並みを見渡せる神岡観光スポットとなっております。
富山の役においても金森長近の飛騨侵攻に登場する神岡城ですが、江馬氏城館跡とともに一度訪れてほしい観光スポットであります。

桜の名所としても有名な「神岡城」


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