1.富山県高岡市海老坂に鎮座する「物部神社」の歴史

富山県高岡市東海老坂に鎮座する「物部神社」(もののべじんじゃ)。
高岡の物部神社の歴史は、第八代「孝元天皇」(こうげんてんのう)の時代、第一皇子であり四道将軍の1人であった大彦命(おおひこのみこと)が北陸に派遣されたことに始まる。
これに伴い、物部一族らも北陸へ向かった。
その後、大伴家持(おおとものやかもち)と共に越中国入りした物部一族が、物部の祖神を拝見し喜んだことが伝えられることから、既に「物部神社」の前形が存在していた可能性が大きい。
この時点では、物部氏の祖とされる宇摩志麻治命(うましまじのみこと)のみを祀っていたと考えられる。
また、高岡にある物部神社は、当初、現在の高岡市と氷見市との境界の奥山に鎮座していた。
物部氏は、謎多き人物として知られるが、神武天皇よりも前に大和入りをした「饒速日命」ニギハヤヒが祖先と伝わる神別氏族。
物部氏というと奈良の「石上神宮」(いそのかみじんぐう)が思い浮かぶが、石上神宮は、主祭神は、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)であるが、祭神として宇摩志麻治命(うましまじのみこと)を祀っている。
時代が過ぎて戦国末期の頃、加賀藩祖「前田利家」(まえだとしいえ)により物部神社の歴史にも変化が訪れた。
前田利家は、菅原道真(すがわらのみちざね)の後裔にて菅原氏を称しているが、一方、俄かに信じがたいが物部の末裔とも称していたとの記録も残る。
利家の物部末裔説を都合よく継承した利家の子「前田利長」は、守護神としていた物部神社を遷座する名目で、卯辰山麓に卯辰八幡宮を建立した。
これが、後の前田家の利家とお松の方を祀る尾山神社へ繋がるのである。
現在の物部神社は、この時に、氷見から現在の高岡市海老坂に新たに八幡宮を併祀し「物部八幡宮」、そして現在の「物部神社」に至るのでは?
物部氏には、非常に興味があることから、さらに研究を進めるつもりである。

高岡市東海老坂「物部神社」

2.謎の渡来人「物部氏」と「ニギハヤヒ」

饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は、邇邇藝命(ニニギノミコト)と共に、神別氏族として古事記や日本書記に登場する伝説の人物である。
物部氏は、ニギハヤヒの系統を引き継ぎ、近畿に国家を形成「邪馬台国説」やスサオノの子孫など、様々な説ある謎の渡来人として知られる。
日本史に登場するのは、崇仏派の蘇我氏と対立する廃仏派の物部尾輿(もののべのおこし)の子「物部守屋」(もののべのもりや)である。
丁未の乱(ていびのらん)と呼ばれる蘇我氏と物部氏の争いに敗れた守屋は、蘇我氏に抹殺され歴史上から姿を消す。
その後、生き延びた物部一族は、石上氏(いそのかみうじ)と改名し現在に至る。
秦氏、藤原氏とともに、物部氏は、日本書記を中心とした日本史における最大のタブーとして歴史マニアに欠かせない人物として存在する。
大和政権のあった近畿地方以外には、ほぼ日本海の北陸、山陰にしか存在しない物部神社。
そのひとつが、富山県にあるのは非常に興味深い。

高岡から氷見への氷見街道(160号)沿い

1件のコメント

Kaori · 2023年11月25日 11:28 PM

記事ありがとうございます。非常に興味深いです。是非とも続報を知りたいです

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