富山県高岡市にあった「物部神社」

富山県高岡市にあった「物部神社」
高岡の物部神社(富山県高岡市東海老坂)の歴史は、第八代孝元天皇の時代、第一皇子であり四道将軍の1人であった大彦命が北陸に派遣されたことに始まる。
この時、物部一族らもこれに従い北陸へ。
さらに、大伴家持と共に越中国入りした物部一族が、物部の祖神を拝見し喜んだことが伝えられることから、既に「物部神社」の前形があったと考えられる。
物部氏は、謎多き人物として知られるが、神武天皇よりも前に大和入りをした「饒速日命」ニギハヤヒが祖先と伝わる神別氏族。
物部神社というと奈良の「石上神宮」である。
前田利家は、菅原道真の後裔にて菅原氏を称しているが、一方、物部の末裔とも称していたとの噂もあり、また、前田利長公は、守護神としていた物部八幡宮を遷座する名目で、卯辰山麓に卯辰八幡宮を建立した。
物部八幡、海老坂八幡と呼ばれ、八幡宮を併祀。梅鉢がみられるように金沢市の卯辰八幡宮に勧請され、前田利家霊を合祀している。

謎の渡来人「物部氏」と「ニギハヤヒ」

饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は、神武天皇よりも前に大和入りをした神別氏族。
物部氏は、ニギハヤヒの系統を引き継ぎ、近畿に国家を形成「邪馬台国説」やスサオノの子孫など、様々な説ある謎の渡来人として知られる。
歴史に登場するのは、崇仏派の蘇我氏と対立するな崇仏派の物部尾輿の子「物部物部」であるが、その後、蘇我氏に抹殺され歴史上から姿を消し、石上氏として現在に至る。
秦氏、藤原氏とともに、物部氏は、日本書記を中心とした日本史における最大のタブーとして歴史マニアに欠かせない人物として存在する。


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