高岡山「瑞龍寺」の歴史

曹洞宗高岡山「瑞龍寺」の歴史は、江戸期の加賀藩初代「前田利長」公の菩提寺として二代「前田利常」によって建立されたことに始まる。
前田利長は、加賀藩祖「前田利家」の嫡男として加賀百万石の太守となり、加賀藩の礎を築いた大名である。
1609年(慶長14)一時的に魚津城に入るが、その後「高岡城」を築き正式に高岡へ移った。
死後は、加賀藩二代「前田利常」が利長のために広大な寺域を誇る瑞龍寺を創建するが、利長への想いの強さが伺える。
そして、瑞龍寺創建の指揮を執ったのが、名匠「山上善右衛門嘉広」であり、善右衛門は、瑞龍寺のほかにも羽咋の「妙成寺」、富山県上市町の「日石寺」、小松の「那谷寺」などを手掛けている。
国宝に指定された山門、仏殿、法堂、そして、国の重要文化財に指定された総門など素晴らしい寺院は一見の価値あり。
また余談ではあるが、この寺院の隠れネタとしては、東司(とうす)とは、寺院における便所のことであるが、烏瑟沙摩明王が祀られているのも面白い。

前田利長とは?

前田利長は、「前田利家・利長軍記」、「小松戦国物語」などで度々登場する武将である。
青年期は、北陸の関ヶ原と謳われた「浅井畷の戦い」や「木場潟の戦い」でも見られるように戦があまり得意でもなく、優柔不断と描かれることが多い。
しかし、晩年は、徳川家康を相手に見事な立ち回りと、異母弟「利常」を次期藩主とする人間性など最近では評価を見直されている。

院政をすることもなく、利常に全てを委ね、そして静かに舞台から身を引いていく。
前田利長とは、豪傑とは異なる人徳の漢である。


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