1.越中・氷見の海城「阿尾城跡」の歴史

富山から能登への海上および街道をおさえる氷見の要衝「阿尾城」(あおじょう)。
城主の菊池武勝(きくちたけかつ)は、藤原氏の流れを組む肥後の豪族「菊池氏」の末裔であり、戦国初期には、九州の大友氏などと争った歴史も存在する。
越中の菊池家は、肥後菊池家十二代「武時」の子「武敏」の系統と考えられる。
日本海側であっても、珍しい海岸線の城「阿尾城」。
富山湾に面した丘陵に築かれた氷見の「阿尾城跡」は、二の丸・三の丸も存在し今でも海上要塞の面影を色濃く残す。
また、城ケ崎に築かれた阿尾城跡(富山県氷見市阿尾)から湾を挟んで望む立山連峰は絶景であり、人気の観光スポットでもある。
ちなみに現在の氷見市は、寒ブリで知られ、冬の雷でブリが獲れ始める「鰤起こし」(ぶり起こし)は、有名である。

阿尾城跡(富山県氷見市阿尾)

2.戦国末期の阿尾城主「越中菊池家」

九州肥後から流れ越中・氷見城主となった「菊池武勝」。
越中において当初は、阿尾城主として上杉謙信の配下となり、織田信長(おだのぶなが)、佐々成政(さっさなりまさ)、前田利家(まえだとしいえ)と次々と主君を代えながらも阿尾城主としての地位を守り抜く。
前田、佐々抗争では、豊臣秀吉と争った富山城の城主「佐々成政」から金沢城の城主「前田利家」に鞍替えし、前田慶次郎(まえだけいじろう)など前田軍を城へ迎え入れた。
越後の上杉景勝(うえすぎかげかつ)との戦いから領国経営に時間をかける事が出来なかった成政。
金沢移封後、隣国における軍事行動が少なく、在地勢力の懐柔に余裕があった利家の差がここに出たのであった。
菊池武勝、安信親子は、前田家に従う事で氷見を安堵されるが、安信の死後間もなく阿尾城は、廃城となる。
菊池一族も正式に前田家の家臣となり、ここで阿尾城主としての役割も終えることになる。


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