豊臣軍前衛基地「白鳥城」

もともとは、神保長職(じんぼうながもと)が上杉謙信の越中侵攻に備えて築城され、後に佐々成政が富山城の支城として強化された。
しかし、1585年(天正13)、豊臣秀吉が越中「佐々成政」征伐のため北陸に出兵した富山の役(越中征伐)の際、豊臣軍が大軍であったため、白鳥城を放棄し軍を富山城に集中させた。
秀吉本陣は、倶利伽羅に置かれていたが、前衛の「織田信雄」「前田利家」は、富山城を見下ろす白鳥城に本陣を置いた。
その後、秀吉本陣は、一夜の陣を現在の「太閤山」に移すが、前衛は、白鳥城を拠点に安田城(やすだじょう)、大峪城(おおがけじょう)の二つので城にて富山城を威嚇。
圧力をかける豊臣軍に対し、成政は、成す術なく降参する。

呉羽の佐々成政道心塚

呉羽丘陵にあり、晴れた日には立山が望める絶景地であり、成政の降伏は、ここでで受け取った。
降伏した成政は、肥後へ移封されその後に切腹。
後に切腹した成政を慕った領民が剃髪を埋めて道心塚をつくり、その菩提提を弔った。

白鳥城から富山城を見下ろす

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