順徳上皇を導いた光明!「広済寺」の聖徳太子像

倶利迦羅山不動寺の善無畏三蔵と同体の不動明王を掘った弘法大師「空海」は、その後、英田地区を訪れた。
その間、聖徳太子の像を彫り、広済寺に安置する。
そして、承久の乱を経て13世紀前半。
戦いに敗れた順徳上皇が佐渡へ向かう途中、河北沖にて大しけにあう。
この時、津幡方面の光明に導かれた上皇一行は、上陸し難を逃れるが、その光明の正体は、「広済寺」の聖徳太子像であった。

領家の「広済寺」

津幡の、プチいにしえ空間「領家」ストリート

石川県河北郡津幡町の領家は、津幡のプチいにしえ空間といえる。
隣接する「能瀬」には、能瀬川公園桜まつりが開催され龍ヶ口井戸跡が存在し、「御門」には、順徳上皇行在所御門屋敷跡あり、英田地区には、その他にも御門屋敷跡など観光ミニスポットも存在する。
そして、領家には、順徳さん謎解きウォークラリーのポイントでもある「広済寺」が存在し、一度訪れていただきたいスポットである。

プチいにしえ空間「領家」ストリート

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