1.順徳さん謎解きウォークラリーと英田地区を散策

2021年(令和3)6月からスタートした「順徳さん謎解きウォークラリー」。
全国でも謎解きウォークラリーが流行中である。
津幡町英田地区の謎解きウォークラリーは、承久の乱にて敗れた「順徳上皇」(じゅんとくじょうこう)所縁の地を中心に4キロ、10箇所のスポットを巡る企画だ。
領家、御門を歩きながら、史跡を見学し地域の見識を深めるられるのが面白い。
順徳さん謎解きウォークラリーは、津幡町の英田(あがた)にある英田公民館(あがたこうみんかん)からスタートしする。
真宗大谷派寺院「願慧寺」を経由し、順徳上皇に飲料水として差し上げるための井戸跡「龍ヶ口井戸跡」(たつのくちいどあと)を訪ねる。
井戸跡がお勧めの1番目。
能瀬大橋を渡り「能瀬川公園」(のせがわこうえん)を経由し「日吉山王神社」、順徳上皇を導いた領家の「広済寺」(こうさいじ)へ。
桜シーズンの「能瀬川公園桜まつり」のタイミングであれば、さらに最高。
また広済寺は、順徳上皇を導いた聖徳太子像がある寺であり2番目のお勧めである。
さらに、信州大谷派寺院「広勝寺」から上皇が3年間滞在した行在所(あんざいしょ)仮御所『御門屋敷』碑を経由し、最後は、お勧めの3番目となる御館「御門屋敷跡」でウォークラリーのゴールとなります。
全てのコースを巡りスタンプを集めると「順徳さん缶バッチ」が当たるそうだ。
スタンプカードは、津幡町英田公民館(石川県河北郡津幡町字能瀬井36番地)にて。

2.津幡町・英田地区の「龍ヶ口井戸跡」を訪ねて

津幡町の北部「英田地区」を流れる能瀬川公園桜まつりで知られる能瀬川。
その能瀬川沿いにある英田郵便局に隣接する「龍ヶ口井戸跡」(たつのくちいどあと)は、承久の乱に敗れ佐渡へ向かう順徳天皇がしけのため河北に上陸し3年間滞在した時の、飲料水を目的とした井戸跡と伝わる。
井戸跡は、1986年の河川改修のため残念ながら埋められてしまい、その後、石碑が建てられる。
龍ヶ口井戸跡(たつのくちいどあと)の近くには、仮屋敷として使用された「御門屋敷跡」も存在した。
現在の津幡町に滞在する事3年、佐渡へ向かった順徳上皇は、承久の乱から11年後の1242年(仁治3)復帰叶わず佐渡にて崩御(ほうぎょ)する。
遺骸は翌日に火葬され真野御陵に。
遺骨は、その翌年に後鳥羽上皇墓所のかたわらに安置された等から、真野御陵は、正式には「順徳天皇御火葬塚」と呼ばれるそうである。
承久の乱における朝廷側3人の主役「後鳥羽上皇」「土御門上皇」「順徳上皇」。
この三上皇は、大阪府三島郡島本町の水無瀬神宮(みなせじんぐう)のご祭神となっている。
1494年(明応3)、後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)が隠岐より後鳥羽上皇の神霊を迎え、水無瀬宮の神号を奉じた。
後の1873年(明治6)に土御門天皇と順徳天皇の神霊も合祀する。

龍ヶ口井戸跡(石川県河北郡津幡町能瀬井)


1件のコメント

順徳上皇を導いた「広済寺」と「領家」を散策 · 2023年2月5日 11:58 AM

[…] 石川県河北郡津幡町の領家は、津幡のプチいにしえ空間といえる。隣接する「能瀬」には、能瀬川公園桜まつりが開催され龍ヶ口井戸跡が存在し、「御門」には、順徳上皇行在所御門屋敷跡あり、英田地区には、その他にも御門屋敷跡など観光ミニスポットも存在する。そして、領家には、順徳さん謎解きウォークラリーのポイントでもある「広済寺」が存在し、一度訪れていただきたいスポットである。さて、英田地区の御門(みかど)は、上皇が滞在した地が由来である。同じ英田地区の領家(りょうけ)は、上皇の供奉(ぐぶ)の住居があったことに由来する。英田地区の町おこしは精力的で、順徳さん謎解きウォークラリー、能瀬川公園桜まつりの他にも、近年、英田地区8集落の獅子頭12体が英田公民館で初めて一斉に飾られた。 […]

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