佐々成政が登場、津幡の「鳥越城」
現在の津幡町「鳥越城」は、白山市の「鳥越城」とは異なる。
いずれも、一向一揆勢力の砦としての歴史を持つが、もともとは、「鳥越弘願寺」の支城的な役割を担っていた。
戦国史としては、佐々前田抗争における末森上の戦いに登場。
末森城攻めに失敗した佐々成政率いる佐々軍は、敗走途中でありながらも、もぬけの殻となっていた鳥越城を奪取。
一方的な敗戦となりうる状況の中での面目躍如といったところである。
鳥越城に兵が不在だったのは、末森城が陥落したという流言が原因であったと伝えられる。


「七黒トンネル」と「笠野トンネル」
田屋~倉見間を超えるには、1俵の米でさえ馬につけないと超えれない急坂があり、1890(明治23)年に広瀬五郎作が「七黒トンネル」を完成させる。
その後、七黒トンネルから「笠野トンネル」が完成した。

広瀬五郎作の顕彰碑

笠野トンネル完成記念碑近くから鳥越城跡を登リます。
