前田秀継が改築した津幡城の歴史

津幡城の歴史は、十二世紀に砦機能として登場するまで遡る。
1576(天正4)年、上杉謙信の能登侵攻時に津幡城を拠点に七尾城攻略を始めたことから、正式な城としての登場は、十六世紀後半の一向一揆の時代と想定される。

その後、秀吉・家康の代理戦闘としても有名な、加賀の前田利家と越中の佐々成政が争った「前田・佐々抗争」時に、利家の弟である「前田秀継」が北加賀の防衛線として改築した。

源平合戦時の平維盛軍、一向一揆、上杉謙信率いる上杉軍などが所縁の津幡城。
末森城の戦い時には、前田利家と前田秀継が軍議を開いた。
その後は、利家の強敵「佐々成政」の脅威もなくなり、津幡城の存在意義も失い廃城となる。

津幡城址と津幡町の歴史

石川県河北郡津幡町清水(津幡小学校に隣接)
高台の「津幡城跡」敷地内に、津幡ふるさと歴史館「れきしる」があります。
「れきしる」には、俱利伽羅合戦のほか、縄文時代から現代まで津幡町の文化財と記録を学ぶことが出来ます。
個人的には、国重要文化財である加賀郡牓示札(レプリカ)がおススメです。

関連のおすすめスポットは、「龍ヶ峰城跡」「一乗寺城跡」「鳥越城跡」です。


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