前田利家と佐々成政が抗争の舞台「富山・一乗寺城」
一乗寺城跡(いちじょうじじょうあと)は、加賀と越中との国境(現在の石川県津幡町から富山県小矢部市)にあり、田近越(タヂカゴエ)の脇道(現在の小矢部市八伏・五郎丸)に存在する。
ちなみに、本丸跡の碑には、小矢部市五郎丸と記されており、また、石川県津幡町北横根に隣接し、石川県の城と間違われることが多い。
1346年代(南北朝時代)に南朝方であり越中国守護であった桃井直常が築かれたとされるが、1580年代には、加賀の「前田利家」と越中の「佐々成政」によりせめぎ合いが続いた。
いわゆる「前田・佐々抗争」である。
この時、一乗寺城は、倶利伽羅堡(倶利伽羅城)と共に佐々成政方の城として歴史に登場する。
1581年(天正9) 成政、越中入国
1582年(天正10)本能寺の変
1584年(天正12)賤ヶ岳の戦い
同年 成政、一乗寺城から加賀の朝日山城へ攻め込むも失敗
同年 末森の合戦後に前田軍の村井長頼により一乗寺城落城
一乗寺城へのアクセスと周辺の観光スポット
富山、金沢、津幡に跨る「一乗寺城址」の周辺には、倶利迦羅不動寺、旧北陸道、龍ヶ峰城、新鮮野菜を栽培する三州農園農園直売所、御手洗池など隠れスポットが数多く存在します。
一乗寺城へのアクセスは津幡町から入るルートが一般的であるが、いずれも、山中につきお一人での散策の場合は、クマやイノシシには、お気を付けください。
また、石川県津幡町から小矢部市八講田に抜ける県道214号線は、道幅が狭いため注意が必要です。
一乗寺城の城主「桃井直常」とは?
一乗寺城の歴史に登場する「桃井直常(もものいただつね)”なおつね”とも呼ばれる」は、南北朝時代に登場する武将であり、般若坂の戦いでなど数々の戦いにおいて武名をとどろかせた経歴を持つ勇将でもあった。
桃井氏は足利氏の支族であり、上野国桃井村の出身である。
建武の乱には、足利尊氏の敵方である北畠顕家(きたばたけ あきいえ)を奈良の般若坂の戦いで破った功績もあり、若狭国守護、そして、越中国守護を務めた。
一乗寺城は、越中国守護の時に築城した城である。
直常の最後は、越中松倉城病死説、地元上野国にて生涯を閉じた等、様々な説が存在する
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