1500年中期の加賀一向宗の歴史

守るもの、隙あらば奪うもの。
また、それを呑み込む強大な勢力。
現在の福井県である越前と石川県である江沼、加賀は、まさにそうであった。
越前では、五代続いた朝倉家が強力支配し、江沼、加賀では「百姓の持ち足る国」、一向宗の勢力範囲となっていた。
これらが度々争い、特に永正三年(1564)、一向宗が越前乱入を行っている。(九頭竜川の戦い
荒れた幕府「室町幕府」
もはやこの幕府に力はなく、戦国大名は各々新たな領土を求め隣国に侵攻した。
僅かな時が流れ、その動きも確実に変わり始める。
国は領土支配から、統一への時代へと動いていたのであった。
武田信玄、上杉謙信、北条氏康は中央より遠く離れ上洛も容易ではない。
天下統一を狙える存在。
やはり地理的にも有利な「織田信長」が有力視されていた。
そして、その信長が北陸では第三勢力となり、
ここ越前、江沼支配に動き出したのである。

吉崎御坊(嫁おどし肉づきの面拝観所)福井県あわら市吉崎

石川県加賀市「南郷城跡」

現在の石川県加賀市南郷の八幡神社に『南郷城跡』が存在した。
石川県の『南郷城』も加賀一向宗の拠点として築かれ、1500年代には「朝倉宗滴」や「長尾景虎」と争いを続ける。
応仁の乱時において細川と同盟関係にあった本願寺、すなわち加賀『南郷城』の加賀一揆勢は、反細川であった越前朝倉氏と度々争うことになったのである。
また1600年には、関ヶ原へ急ぐ「前田利長」が(実際は、中央へ)小松を通過後、南郷城を攻撃している。

八幡神社の場所に存在した石川県『南郷城跡』

前田利長の大聖寺城の攻城戦のおり利長家臣「岡島市正」深手を負い、南郷城で命が絶えた。岡島の霊を鎮めるため南郷の『八幡神社』を創建したと伝わる。

利長家臣「岡島市正」と南郷『八幡神社 』

越前戦国物語プロローグ② | 越前(福井)の名門「朝倉家」と戦国朝倉家


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