①金沢撤退最大の難関「浅井畷」

前田軍が小松方面へ引きかえし、御幸塚城を難なく攻略する。
ここで1つ問題が起こる。
行きは、小松城を先に落とすか、無視をし大聖寺へ兵を進めるかが問題となった。
帰りである今は、撤退路に木場潟を西にとるか、それとも東にとるかである。
撤退時に東をとる。
それは敵を避けて通ることを意味し、即ち不名誉な行為とみなされる。
当然の如く、ここでも意見が割れた。
武闘派利政、もう一人の武闘派、長連竜が西ルートを進言する。
利政はこの前田軍の金沢撤退も納得していない。
<一体何をしに行ったのじゃ>
利政は西軍の石田方に人質を取られており、本来ならば西軍と闘うことを望めない立場である。
しかし、一度出兵したからには、武人である。
闘うために中央へ向けて出兵したのであり、意味無く撤退するのは納得が行かない。
そこで、もう一人の武闘派、長連竜を取り込み、強く西ルートを押した。
これには、流石の温厚派、利長も抑えることが出来ず、遂に退却ルートは西と決まった。本隊の利長及び利政は、木場潟を東に進路をとった。
利政は利長護衛のため、無理やり東ルートに加えられてしまった。
利政はいらいらを隠せない。
「ええい、なぜわしが東周りじゃ!!」
「連竜殿との連絡を怠るな」
丹羽軍は必ずしんがりである長軍に、仕掛けてくると読んでおり、連竜との連絡体制強化を急いだ。
一方、木場潟西ルートは先鋒に高山長房を筆頭とし、山崎隊、奥村隊、太田隊がその後に続く。
御幸塚を出立し、大領、浅井を通過する。

[浅井畷古戦場(小松市大領町)]

北陸の関ヶ原と歌われる、浅井畷の激戦地。
日本史上、畷(なわて)における戦いには死者が多い。
九州島津家と龍造寺隆信の九州覇者争いも(沖田畷の戦い)も多数の死者を出している。

②北陸の関ヶ原「浅井畷の戦い」

この浅井には湿地帯が存在し、大軍が一斉に通れない鬼門となっている。
畷とは縄状に細長い道の事であり、そこを通過しなければ先に進めない要所である。
ここがかの有名な”浅井畷”である。
その畷に丁度、長軍本体ががさしかかった瞬間であった。
”うわーーりゃ”
突如伏兵が現れた。
丹羽軍である。
「やはり来たか!!」
警戒していた連竜であったが、視界も悪く長隊は浮き足立ってしまっている。
丹羽軍は傘にかかって攻めてくる。
もはや、敵味方判別出来ない程の乱戦となっていた。
「殿!!」
長家重臣、横田久右衛門が連竜に駆け寄った。
「角左衛門であったか?」
「殿、危なすぎまする。お引きくだされ」
流石の連竜も、この乱戦では危険を感じていた。
しかし、この状況では引くにも引けない状況である。
ここで、沖角左衛門、長中務も配下を引き連れ駆けつけた。
「横田殿、ここは殿を逃がすのが専決である」
「ここはわれらに任せ、殿を連れ出されよ」
「分かり申した」
久右衛門が決死の覚悟にて道を切り開き、連竜を誘導する。
浅井畷は、連竜自身矢を受ける程の修羅場と化した。
それから数刻、久右衛門は連竜をやや東にある山代橋まで逃すことに成功する。

③「長連竜」 の奮闘

浅井畷にはまだ激戦が続いていた。
斬っても、斬っても丹羽軍が涌いて出てくる。
「沖殿、上杉とも戦ったわが軍の意地をけなしてはならぬ」
「もっともじゃ」
長家はあの軍神上杉謙信にも一歩も引かなかった誇りがある。
その意地を守るために、古参の家臣が最後の力を振り絞った。
「八田様がやられた!!鹿嶋路六左衛門様討ち死に」
健闘むなしく、一人また一人討ち取られていく。
「そろそろ終いか・・・」
長中務が諦めた瞬間であった。
「利政様の軍勢だと想われます」
報を聞いた利政隊、太田隊が駆けつけたのである。
<長家の意地を貫き通せたか・・・>
長中務はホッとした表情を浮かべ、刀を持ち直した。
そして、大声で叫ぶ。
「一人でも多く、丹羽軍を討ち取れ」
その言葉が、長中務達の最後の言葉であった。
沖角左衛門、長中務、鹿嶋路六左衛門、八田三助、鈴木権兵衛、柳田半三郎、岩田進助、小林平左衛門、堀内一秀
現在では少なくなった、義理を貫いた激戦であった。
この九人を含む、歴戦のつわものが北陸の関ヶ原の壮ましい戦いを締めくくった。
通常、一家の重臣が九人も命を落とすことは稀な話である。
それほど敵味方入り乱れた乱戦であったことが伺える。
丁度その頃、秋時雨が浅井畷に降りそそぐ。

そして、今でもこの浅井畷に、九人の墓が倒れた方向を向いている。

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