1.第4章本文

①定まらぬ心、前田気質たる所以

丹羽軍が奇襲した木場潟の戦い(きばがたのたたかい)にて、辛くも勝利を拾った前田軍。
山口宗永の大聖寺城も落とし、越前へ侵攻する。
前田利長(まえだとしなが)は迷っていた。
「どうする!丹羽長重(にわながしげ)が金沢で暴れているそうではないか?」
前田利政(まえだとしまさ)が答える。
「ここまで来たからには、進撃を続けるべきでは」
二人の意図は明らかに違いを見せる。
「金沢はどうするのじゃ」
「一部のみ、兵を戻すのでは如何でござろう」
「なんなら、この利政が引き返そうか」
利政は、木場潟での苦戦が脳裏に離れていない。
当然、決着をつけたいのが武功派の血であった。
利長はさらに考え込む。
<家康の為に、何で儂がこの様な無駄な事を・・・>
一人考える込む事数刻、利長は決断する。
「引き返す!!!!」
このまま敦賀、近江を抜け中央へ進出すると思われていた前田軍が、今江城を警戒しながら突如小松方面へ兵を引き始める。

大聖寺の錦城山

②お家大事、当主「前田利長」の宿命。

闘う事で価値観を得る猛将「利政」、お家一番が宿命の当主「利長」。
利長は、何も愚将ではない。
偉大な父を持ち、百万石を守らなければならぬ焦り、利家の遺言、母の人質。
様々な出来事に整理がつかないのが現実のところであった。
そして、この気持ちは利長の心に押し込められた。
その結果、前田軍のこの行動は謎に包まれることになる。
一方、その報を須天(現在の須天熊野神社)で受けた長重が御幸塚城こと今江城(いまえじょう)へ指令を出す。
長重にしても、木場潟の戦い時の早とちりを悔いており、汚名返上を狙う。
その1つが、前田軍が留守の金沢を焼き討ちにした行為である。
そして、今もう一泡をふかせようと虎視眈々と期を伺った。

小松城跡★第5章・小松城主「丹羽長重」の意地!百万石との死闘

2.今江城址の歴史

前田軍の再来襲に備えた前線基地「今江城」(いまえじょう)。
加賀三湖(かがさんこ)を見渡す事が可能な今江城である。
丹羽軍が前田軍を偵察するには、絶好の場所であった。
現在の小松市今江町(今江小学校敷地内)にある今江城は、又の名を御幸塚城(みゆきづかじょう)とも呼ぶ。
加賀守護「富樫泰高」(とがしやすたか)により築城されたと伝わる今江城は、1400年代以降に度々戦国史に登場する城である。
そして平成時代に入り、この歴史ある加賀の今江城跡に、2007年「今江城址」を舞台とした
イベント「小松戦国物語~史跡一興」が開催され、今江城にまつわる物語、語り部、そしてお茶会が催された。

今江城跡(小松市今江町)

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