源平倶利伽羅合戦図屏風が保存される「倶利伽羅神社」

津幡町竹橋の「倶利伽羅神社」は、旧宿場町「竹橋宿」にある。
倶利伽羅神社は、もともと小白神社と称したが、明治40年に「倶利伽羅神社」と改称した。
この倶利伽羅神社には、「源平倶利伽羅合戦図屏風」が保存されNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場した。
この屏風絵は、いささか大胆なシチュエーションと思われるが、能瀬出身の絵師「池田九華」が描いたそうである。
九華に興味のある方は、順徳さん謎解きウォークラリーのポイントでもある能瀬「山王神社」に屏風絵馬が残されているのでこちらも。
ちまみに、源平倶利伽羅合戦図屏風のレプリカであれば道の駅「倶利伽羅源平の郷」にも展示されている。

源平倶利伽羅合戦図屏風が保存される「倶利伽羅神社」

倶利伽羅神社の御祭神「木花開耶姫命 」このはなのさくやびめのみこと

ニニギノミコトに求婚された「木花開耶姫命」(このはなのさくやびめのみこと)は、姉の石長比売と共にニニギノミコトの元へ向かった。
しかし、ニニギは、醜い容姿であった姉の石長比売を送り返す。
二人の父「大山津見神」は、石長比売を妻にすればニニギの命は岩のように永遠のものとなる。
そして、木花開耶姫を妻にすれば木の花が咲くように繁栄すると誓約を立てたからであると怒りをあらわにした。
そのためか、その子孫である天皇の寿命は、神々ほど長くないのではと伝わる。
ニニギノミコトとニニギとコノハナノサクヤビメノミコトの間には、三柱の子が生まれる。
それが、火照命(海幸彦)・火須勢理命・火遠理命(山幸彦)であり、火遠理命の孫が「神武天皇」である。


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