1.源平倶利伽羅合戦図屏風が保存される「倶利伽羅神社」

津幡町竹橋(つばたまちたけはし)の「倶利伽羅神社」(くりからじんじゃ)は、旧宿場町「竹橋宿」にある。
倶利伽羅神社(石川県河北郡津幡町字竹橋オ34)は、もともと小白神社と称したが、明治40年に「倶利伽羅神社」と改称した。
この倶利伽羅神社には、「源平倶利伽羅合戦図屏風」(げんぺいくりからぁっせんずびょうぶ)が保存されNHK大河ドラマNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場した。
この屏風絵は、いささか大胆なシチュエーションと思われるが、津幡町能瀬出身の絵師「池田九華」(いけだきゅうか)が19世紀に描いたそうである。
埴生八幡宮(はにゅうはちまんぐう)に戦勝祈願する木曽義仲から巴御前?(ともえごぜん)も登場。
そして、火牛が突進し平家軍が地獄谷に突き落とされるシーンなどが描かれている。
九華に興味のある方は、順徳さん謎解きウォークラリーのポイントでもある能瀬「山王神社」に屏風絵馬が残されているのでこちらも。
ちなみに、源平倶利伽羅合戦図屏風のレプリカであれば道の駅「倶利伽羅源平の郷」にも展示されている。

源平倶利伽羅合戦図屏風が保存される「倶利伽羅神社」

2.倶利伽羅神社の御祭神「木花開耶姫命 」このはなのさくやびめのみこと

ニニギノミコトに求婚された「木花開耶姫命」(このはなのさくやびめのみこと)は、姉の石長比売(いわながひめ)と共にニニギノミコトの元へ向かった。
しかし、ニニギは、醜い容姿であった姉の石長比売を送り返す。
二人の父「大山津見神」(おおやまつみのかみ)は、石長比売を妻にすればニニギの命は岩のように永遠のものとなる。
そして、木花開耶姫を妻にすれば木の花が咲くように繁栄すると誓約を立てたからであると怒りをあらわにした。
そのためか、その子孫である天皇の寿命は、神々ほど長くないのではと伝わる。
ニニギノミコトとコノハナノサクヤビメノミコトの間には、三柱の子が生まれた。
それが、火照命(海幸彦)・火須勢理命・火遠理命(山幸彦)であり、火遠理命(ほのおりのみこと)の孫が「神武天皇」である。
天火明命(ほでりのみこと)は、三種の神器の1つ草薙神剣(くさなぎのつるぎ)を祀る「熱田神宮」(あつたじんぐう)の大宮司であった尾張氏となり。
火須勢理命(ほすせりのみこと) は、隼人族(はやとぞく)となる。

3.加賀藩参勤交代の宿場町「津幡町竹橋」

17世紀初め、加賀藩の宿駅(しゅくえき)、宿場(しゅくば)として栄えた津幡町の竹橋(たけのはし)。
津幡とは、反対側となる越中口(小矢部市埴生)と同じく、現在は、宿もなく静かな通りとなっているが竹橋の入口から眺める景観は、当時を回想するに十分な雰囲気を漂わせる。
また、道の駅「倶利伽羅源平の郷」竹橋口も近く、梵鐘(ぼんしょう)で有名な教願寺(きょうがんじ)も一見の価値あり。


1件のコメント

津幡・倶利伽羅から富山・小矢部に続く歴史国道・旧北国街道 · 2023年2月2日 1:28 AM

[…] 1995年(平成7)、国土交通省が進める「歴史国道」に認定された旧北陸道「歴史国道」。石川県河北郡津幡町における歴史国道(れきしこくどう)は、竹橋から山森へ抜ける旧北陸道ルートであり、その後、倶利伽羅峠を超えると小矢部市に至る。まず出発点は、加賀藩指定の宿駅(しゅくえき)として栄えた「竹橋」(たけのはし)から始まる。竹の橋には、梵鐘(ぼんしょう)で有名な「教願寺」(きょうがんじ)、源平倶利伽羅合戦図屏風が保存される「倶利伽羅神社」(くりからじんじゃ)があり、山道に入ると「前坂権現」「一騎討ち跡」「龍ヶ峰城址公園」「道番人屋敷跡」「馬洗い場跡」と続く。特におすすめは、「龍ヶ峰城址」である。この城は、いまいち、注目度が低いが戦国期における前田利家と佐々成政が争った記録が残る城である。津幡町は前田・佐々抗争の舞台となった地であり戦国史に興味がある方は、是非訪れてほしい。また、竹橋から山森まで歩いて散策が出来る歴史国道は、ドラマ「水戸黄門」に登場するような雰囲気を漂わせております。文化庁の「歴史の道百選」にも選ばれた歴史国道、そして倶利伽羅不動寺といった津幡町観光スポットをお楽しみ下さい。ただし、鈴を携帯するなど「熊」対策を忘れないようにご注意願う。 […]

津幡・倶利伽羅から富山・小矢部に続く歴史国道・旧北国街道 へ返信する コメントをキャンセル

アバタープレースホルダー

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です