朝倉義景一行が、越前大野へ入った。
まずは、大野亥山城へは入らず、洞雲寺(とううんじ)へ向かう。
義景が、従妹である「朝倉景鏡」(あさくらかげあきら)に問う。
「平泉寺の者共はどうなのじゃ?」
義景は、ある期待をもって大野へ逃げた。
それは、平泉寺(勝山市平泉寺町にある白山信仰の聖地)の僧兵が味方となると計算したからである。
しかし、景鏡からは、期待と反する返事が返った。
「もはや、敗者には付かぬでしょう」
義景と景鏡の間に、暫くの沈黙の時が流れる。
その沈黙を破り、義景に目を背けるがの如く景鏡が重い口を開いた。
「それよりもここ洞雲寺(福井県大野市清滝)では、守りに適しておりませぬ」
「賢松寺に移られよ」
賢松寺とは、現在の六坊賢松寺である。
〈・・・・・〉
義景は、ある事に気が付いた。
しかし、自身の心に留め、景鏡の言葉に従った。
そして、義景が賢松寺へ移るため洞雲寺の門を出た刹那、冷たい気の矢が心を突き抜けた。
義景が、さりげなく後を振り返る。
そこには、冷笑を浮かべる景鏡が立っていた。

洞雲寺(福井県~越前大野)

⑥名門朝倉の終焉!義景自刃★六坊賢松寺(福井県大野市明倫町)


1件のコメント

戦国朝倉氏の終焉と越前大野「朝倉義景墓所」 · 2023年1月20日 9:03 PM

[…] 一乗谷に帰還した朝倉義景は、まず従妹にあたる「朝倉景鏡」(あさくらかげあきら)の進言にて「洞雲寺」へ向かう。その後は、洞雲寺(とううんじ)の防備に問題があることから、「六坊賢松寺」へ移動した。六坊賢松寺に辿り着いた時には、手勢は、ほぼゼロであった。この時すでに、景鏡に裏切られていたのである。義景は平泉寺にも使者を送ったが援軍は期待出来なかった。最後の望みの綱であった「平泉寺」の僧兵にも見放されたのである。この平泉寺と景鏡は、後に、勝山の攻防にて滅ぼされることになるが、万事休す。遂に義景は、覚悟を決めた。朝倉義景の墓は、福井県大野市泉町に「朝倉義景墓所」として静かに越前大野を見守っている。 […]

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