六坊賢松寺(ろくぼうけんしょうじ)。
賢松寺は、現在の曹源寺(福井県大野市明倫町)にあったと伝えられる。
ここには、朝倉義景(あさくらよしかげ)以下、愛息「愛王丸」とその母「小少将」、それに義景の「母光徳院」がいる。
義景は、静かに深く考え込む。
<なぜ賢松寺・・・>
考えること数刻、義景は細かに悟った。
<やはり、そうであったか・・・>
義景は、戦国大名の顔と同時に文化人としての顔を合わせ持っている。
そのため、感が鋭い。
考えづらいが、従弟である朝倉景鏡(あさくらかげあきら)の裏切りを悟った。
家臣の高橋景業(たかはしかげあきら)、鳥居景近(とりいかげちか)へ顔を向ける。
「筆と紙、そして・・・」
「愛王丸をここへ」
〈信長は、朝倉家存続を許さぬであろう〉
「景業、3人だけは命を助けるよう申して参れ」
三人とは、愛王丸、小少将、光徳院である。
そして愛王丸を抱き寄せ、静かに筆を走らせた。
これが義景の辞世の句となる。
それを書き終えると同時に、カサカサと甲冑の音が寺を囲みこんだ。
景近が外へ出て大声で叫ぶ。
「殿は、ただ今仕度をしておる最中である。今暫く待たれよ」
景近が応対した間、義景以下家臣も脇差を抜く。
そして、静かに朝倉家の歴史を終わらせた。
朝倉義景の墓は、福井県大野市泉町に「朝倉義景墓所」として静かに越前大野を見守っている。

六坊賢松寺(曹源寺)福井県「越前大野」

勝山城博物館★越前戦国物語その後①勝山の攻防~一向宗の反撃


1件のコメント

戦国朝倉氏の終焉と越前大野「朝倉義景墓所」 · 2023年1月20日 9:04 PM

[…] 一乗谷に帰還した朝倉義景は、まず従妹にあたる「朝倉景鏡」(あさくらかげあきら)の進言にて「洞雲寺」へ向かう。その後は、洞雲寺(とううんじ)の防備に問題があることから、「六坊賢松寺」へ移動した。六坊賢松寺に辿り着いた時には、手勢は、ほぼゼロであった。この時すでに、景鏡に裏切られていたのである。義景は平泉寺にも使者を送ったが援軍は期待出来なかった。最後の望みの綱であった「平泉寺」の僧兵にも見放されたのである。この平泉寺と景鏡は、後に、勝山の攻防にて滅ぼされることになるが、万事休す。遂に義景は、覚悟を決めた。 […]

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