
ストップ徳川家康、唯一の存在である大納言「前田利家」
慶長三年(1598)、天下人「豊臣秀吉」がこの世を去った。
秀吉の死、それは日ノ本が再び乱世に戻ることを意味する。
秀吉は、自らの死後を想定し、五大老、五奉行制を引いた。
五大老とは徳川家康、前田利家を筆頭に上杉景勝、毛利輝元、宇喜多秀家であり、一方五奉行には石田三成、浅野長政、増田長盛、前田玄以、長束正家が名を連ねる。
そして、秀吉の死後、待ってましたとばかりに家康の野心が露わになる。
家康は、御法度である大名間の縁組、豊臣恩顧武将の取り込みを行い、天下取りに向け、蠢動する。
そのような中、この家康を唯一止めることが出来る者が一人いた。
大納言「前田利家」である。
利家がいたからこそ、家康の動きは裏工作のみで留まっており、それだけ家康が恐れていたことが伺われる。
しかし、慶長四年(1599)、ついに利家がこの世を去った。
前田利家像(尾山神社)

若き日の、槍の又左「前田利家」像~金沢市尾山町(尾山神社敷地内)
豊臣政権の五大老・五奉行制

小松プロローグ② | 悩める前田利長~家康の策略