宝達山がある旧「押水 」の地名と由来

弘法大師「空海」が旧押水町(現在の石川県羽咋郡宝達志水町紺屋町)を訪れた際に水を求めた。
そこで、老婆が一杯の水を恵んでくれた礼として、弘法大師が杖で岩を押したところ清水が湧き出たという。
押水町の町名由来には、弘法水伝説が大きく関わっていたのである。
昔から飲用等にも利用されてきた宝達志水町紺屋町にある湧水『押しの泉』は、現在でも現地の人々に大切にされ、弘法水伝説を語り継ぐ。

押水の地名由来となった湧水『押しの泉』

宝達山の歴史と伝説

石川県中能登地区、そして旧押水町(現在の羽咋郡宝達志水町)の象徴として都市伝説にも登場する能登半島の最高峰『宝達山(ほうだつさん)』。
標高637Mの山頂となる宝達志水町を中心に、かほく市、津幡町、氷見市、高岡市に広がる。
宝達山の山頂にある展望台からは、立山が一望可能で、秋の紅葉シーズンでは、若者のドライブコースとして人気がある。麓には、「押水放牧場」があり昔は、押水牧場として周辺小学校の遠足の定番として親しまれた。
そんな宝達山であるが、さまざまな都市伝説が存在する。
何といっても有名なのは、モーゼ伝説。
モーゼが古代の飛行船(天浮船(あまのうきふね))に乗って、この宝達山に降り立ったとか?
またモーゼの墓も存在し、現在では、マニアが訪れる観光地「伝説の森モーゼパーク」となっている。
都市伝説もまんざらではありません。
皇祖皇太神宮で知られる「竹内文書」を含め半信半疑で楽しんで下さい。
地名「羽咋」、千里浜の地形、宝達山、
これらのキーワードにもしかして真の歴史が隠されているかもしれませんね。

金山と呼ばれた宝達山

宝達山は、前田家が加賀入りした当時から自然金が採掘されていた。
16世紀後半、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に前田利家が肥前名護屋から領国加賀へ後の金箔となるものをうたせた記録が残る。
後に1617年には、衰退しつつある採掘職人の流出を食い止めるため、加賀藩直営となった。
また初代藩主「前田利長」は、宝達山の金鉱採掘にあたり、抗夫の守護神として「宝達神社」の社殿を造営されたといわれる。


1件のコメント

宝達志水町「敷浪」の桜の名所「やわらぎの郷」 · 2023年1月9日 8:48 PM

[…] 押水「モーゼパーク」 - 志雄「志乎・桜の里」 - 敷浪「やわらぎの郷」 - 千里浜海岸「千里浜なぎさドライブウェイ」その他、前田利家と佐々成政の戦いの舞台「能登末森城」、宝達山山頂などがあります。 […]

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