一向宗拠点の一つである吉崎に、当然噂がもちきりとなっていた。
「朝倉を支援するのか・・・」
「仕方がなかろう」
一向宗方としては、ついこの前までは敵だった間柄である。
それもただの敵ではない。宿敵である。
しかし、朝倉家が滅びれば、次は加賀、江沼である。
「信長の軍は十万を超えるそうじゃ」
「中央の一向宗は、無残な死に方をしたそうじゃ」
村中が信長の噂でもちきりである。
無理もない話であった。
わずか数年で中央の大半を版図とかえた信長である。
朝倉家は姉川の戦い、志賀の陣ではむしろ押していた。
しかし、とどめを差す事が出来ず、追い詰めるにとどまっている。
義影は、優秀であるが優雅な国主であり、甘さが残る。
その点信長は、戦国大名の見本のような男であり、野心強く腹黒い。
信長の方が戦国乱世向きであった。
信長は約定を反故にし、元亀二年二月早速浅井攻めを行い、さらには延暦寺焼き討ちを行う。
そして、遂に朝倉家は刀根坂の戦いで大敗し、一乗谷へ敗走をはじめたのであった。

吉崎御坊(福井県あわら市吉崎)

②越前の要衝!丸岡城★丸岡城(福井県坂井市丸岡町霞町)


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