1.滑川市小泉の、天神人祖一神宮
1.1 天神人祖一神宮のアクセス
天神人祖一神宮(てんじんじんそいちじんぐう)は、富山県滑川市上小泉にある神道系の宗教施設である。
北陸支庁として位置付けられ、本庁は岐阜市に存在する。
富山県の皇祖皇太神宮のルーツであり、滑川の「天神人祖一神宮」が現在の富山県「皇祖皇太神宮」に移されたとされ、竹内文書との関係が指摘される。
参拝作法「四礼八拍一礼」。
[所在地]
富山県滑川市上小泉2964
最寄駅→西加積駅(徒歩約15~20分)
2.2 主祭神
・天地身一大神(あめつちまひとつのおおかみ)
・天神七代(てんじんしちだい)
[天神七代]
日本神話において天地開闢(てんちかいびゃく)の後に現れた七代の神々の総称。
「神代七代(かみよななよ)」「神世七代」とも呼ばれるが、ここは日本の正史と同じですね。
2.竹内文書に関する個人的な考え。
古事記も、日本書記も日本の正史とされているが、それがそのまま歴史の真実であるとは限らない。
特に『古事記』は神話的要素が強く、現実の歴史とは大きく隔たった部分も見受けらる。
また、『日本書紀』についても、編纂当時の政治的事情や権力者の意向が反映されていることは十分に考えられ、完全に中立な歴史書であるとは言い切れない。
さらに、『日本書紀』のもとになったとされる「帝紀(ていき)」や「旧辞(きゅうじ)」は現存していない。
その点においては、古史古伝と呼ばれる『竹内文書』も同様であり、伝承の由来という観点では必ずしも大きな差があるとは言えない。
竹内文書に記される「上古十代」、とりわけ「タカミムスビ」の時代については、一説に約8500年前とされている。
もちろん、その時代に天皇や国家が存在したとする考古学的証拠は確認されてない。
縄文時代の各地域において、王権とまでは呼べなくとも、それに近い有力者や共同体の中心的存在がいたと考えることは、それほど不自然なことではないように思われる。
また、「帝紀」や「旧辞」、さらには「竹内文書」の原資料についても、今日のような書物の形ではなく、
絵や祭具、石碑、口承伝承など、さまざまな形で受け継がれてきた可能性がある。
そして、それら断片的な伝承をもとに、時の権力者や祭祀者、編纂者たちが記録とし、あるいわ都合よくてまとめ上げたのではないだろうか。
その内容がどこまで真実であるのかは分からない。
しかし、だからといって全てが創作や偽りであると断定することもまた難しいように思う。
私は、『古事記』『日本書紀』『竹内文書』のいずれについても、それぞれの時代を生きた人々が伝えようとした何らかの歴史的記憶や伝承が含まれているのではないかと考えている。
古史古伝含めて、歴史は奥が深く面白い。

3.帝紀と旧辞
3.1 帝紀(ていき)
歴代天皇の系譜や事績を記した記録であり、現在は失われている。
・天皇の系図
・皇位継承
・宮の所在地
・重要な出来事
3.2 旧辞(きゅうじ)
神話・伝説・歌謡・氏族伝承などを集めたもの。
・国生み神話
・天孫降臨
・ヤマトタケル伝説
・因幡の白兎
・海幸彦・山幸彦
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