北薩戦国物語~鹿児島県・鹿児島市の観光(歴史・史跡)
北薩戦国物語探訪★三章・徹底抗戦!島津の意地~島津歳久による祁答院、宮之城の秀吉襲撃事件【さつま町(鶴田・宮之城)】
“義久降伏”それは、島津家の降伏を意味する。義久の悪い予感が的中した。義弘以下、歳久、新納忠元など屈 続きを読む…
“義久降伏”それは、島津家の降伏を意味する。義久の悪い予感が的中した。義弘以下、歳久、新納忠元など屈 続きを読む…
鹿児島には、迷う義久が戻っていた。「一層の事、戦って果てるか」「ここまで、堂々と関白の大軍相手に戦っ 続きを読む…
関白秀吉軍の本隊が、北薩「出水 」 へ入る 1587年(天正十五)八月、秀吉は、肥後佐敷から出水に入 続きを読む…
秀吉軍は、大きく二方面より進軍する。秀吉本隊は、熊本、八代より。そして、別働隊である秀吉の弟「羽柴秀 続きを読む…
1.北薩戦国物語プロローグ③本文 織田がつき、羽柴がこねし天下餅。座りしままに 食ふは徳川。天下餅の 続きを読む…
島津四兄弟の九州制覇戦と九州三国志 三州を統一した島津家は、その勢いに乗り、島津四兄弟による九州制覇 続きを読む…
初代「島津忠久」から始まる「薩摩島津氏 」 薩摩島津氏。もともとは、1185年頃、惟宗広言の嫡男「忠 続きを読む…