倶利伽羅の中興の祖『秀雅上人』とは。

現在の日本三不動尊「倶利迦羅不動寺」を中心に、加賀と越中の架け橋として古から機能してきた峠の里「倶利伽羅」。
戦国時代には、加賀、越中の戦い「前田・佐々抗争」により荒廃。
しかし、江戸時代に見事に復興を遂げる。
その復興に貢献したのが、倶利伽羅出身の僧「秀雅上人(しゅうがしょうにん)」であった。
秀雅上人は、前田・佐々抗争において、前田利家に通じることで前田家の信頼を得る。
後に、豊臣秀吉による富山の役にて佐々成政が降伏。
戦後、兵火により荒廃した戦火にて焼失した寺社、そして、倶利伽羅村の復興を指揮したのが秀雅上人であり、現在でも「倶利伽羅の中興の祖」として津幡町にて語り継がれる。
また、長楽寺再興のほか、金沢卯辰山・永久寺、高岡・総持寺、富山・富山寺などの住職を兼務したことでも知られる。

歴史国道「北陸道」の『秀雅上人像』

倶利伽羅峠に鎮座する『秀雅上人像』

倶利伽羅村復興に貢献した『秀雅上人』は、旧北国街道と呼ばれる現在の歴史国道「北陸道」における倶利伽羅峠に存在する。
上人の小堂は、津幡方面から不動寺に向かうと背面となり分かりづらい。
福祉バス「倶利伽羅」から100メートル程坂道を上がると、左手に子安地蔵堂(こやすじぞうどう)が見えるが、右手にある小堂が『秀雅上人像』である。
説明板も老朽化し読みづらくなっているが、復旧されることを望む。

等身大座像『秀雅上人像』

3件のコメント

津幡・倶利伽羅から富山・小矢部に続く歴史国道・旧北国街道 · 2022年11月25日 6:13 PM

[…] 龍ヶ峰城跡をはじめ、倶利伽羅古戦場、倶利迦羅不動寺、手向神社などの観光スポットのほか、山森口から暫く倶梨迦羅不動寺へ上ると三州農園「倶利伽羅直売所」、さらに倶利伽羅の復興に貢献した等身大と伝えられる『秀雅上人像』あります。 […]

津幡の花見スポット「倶利伽羅公園」と「倶利迦羅さん八重桜まつり」 · 2023年2月2日 3:14 PM

[…] 倶利伽羅公園(くりからこうえん)は、旧北陸道上の「倶利伽羅峠」にある石川県河北郡津幡町の公園である。石川県の津幡町(つばたまち)と富山県の小矢部市(つばたまち)の県境ということで小矢部「倶利伽羅県定公園」と混同されやすいが、石川県の津幡町に属する公園である。気になる両県の仲であるが、現在は、倶梨伽羅峠の戦いに因んで開催される小矢部市と津幡町の交流「源平大綱引き合戦」にて両県の親睦が行われている。大綱引きは、源平合戦「倶利伽羅峠の戦い」をモチーフとして行われ、 小矢部市側は木曽義仲が率いる「源氏軍」で白 。津幡町側が、平維盛率いる「平家軍 」で赤。勝敗は、3本勝負で2勝先取で決するが、これまでの成績は、ほぼ互角となっている。喧嘩祭りではないので、それが一番よい。お隣の小矢部市の「倶利伽羅県定公園」と歩調を合わせた倶利伽羅の発展に、ますます期待したい。そんな倶利伽羅公園であるが、沢山の八重桜が咲き誇り、津幡における「桜の名所」としても有名である。津幡側には、手向神社、倶利迦羅不動寺、倶利伽羅村の復活に貢献した秀雅上人像があり、津幡の代表的な観光スポットとなっている。また、小矢部の方に行くと倶利伽羅峠古戦場など数々の史跡も存在する、埴生護国八幡宮へと続く。 […]

佐々平左衛門政元と倶利伽羅城の謎を解く · 2023年2月18日 10:53 AM

[…] 戦国時代に「前田・佐々抗争」により荒廃した倶利伽羅村。江戸期に入り前田利家の庇護により倶利伽羅村は、復興を遂げるが、その復興に貢献したのが、倶利伽羅出身の僧「秀雅上人(しゅうがしょうにん)」である。現在の倶利伽羅峠上にある等身大と伝えられる『秀雅上人像』は、上人75歳の寿像と伝えられる。さらに旧倶利伽羅は、明治に倶利伽羅村(くりからむら)・山森村(やまもりむら)・九折村(つづらおりむら)・河内村(かわちむら)・上野村(うわのむら)・坂戸村(さかどむら)・越中坂村(えっちゅうざかむら)・刈安村(かりやすむら)・富田村(とみたむら)・原村(はらむら)・竹橋村(たけはしむら)が合併することで誕生した。その後、さらに合併を繰り返し、1957年に津幡町に編入し現在に至る。倶利迦羅不動寺を訪れる場合、IRいしかわ鉄道「倶利伽羅駅」で下車。歩くとかなり大変であるが、たくさんの観光客がハイキング感覚で登り降りする姿を見かける。 […]

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