大地主神社の歴史

大地主神社の歴史
「山王さん」として親しまれる七尾市『大地主神社(おおとこぬしじんじゃ)』の歴史は古い。
719年(養老3)能登国の守護神として日吉大社(滋賀県大津市坂本)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられる。
能府地主「山王社」として歴史に登場した後に、1882年(明治15)に素盞嗚命、伊許保止命を合祀し「大地主神社」となった。
大山咋命、素盞嗚命、伊許保止命を祭神とする大地主神社であるが、大山咋命(おおやまくいのかみ)は、山の神であることから昔より山王神社、または、山王さんと呼ばれている。
石川県には、そのほか「金沢市利屋の日吉神社」「小松市本折の日吉神社」などがあるが、山王神社と呼ばれる七尾「大地主神社」の歴史は最も古い。

七尾市の大地主神社(おおとこぬしじんじゃ)

大地主神社と日吉神社「豊臣秀吉」伝説

大地主神社と日吉神社「豊臣秀吉」伝説
日吉神社に纏わる伝説として、豊臣秀吉の伝説が存在する。
戦国三英傑であった豊臣秀吉の幼名は、日吉丸であり、あだ名は、サルというのは有名な話である。
一人の武士が傷を負い日吉大社の社司「樹下」を頼った。
それを看病した樹下の娘であるが、やがて二人は愛し合い子を授かる。
その子は、「日吉丸」と名付けられた。
日吉丸は、有名な豊臣秀吉の幼名として知られるが、後の木下藤吉郎ともなれば、紛れもなく後の太閤秀吉である。
出自を隠し農民で出として出世したとされる秀吉は、天下を掌握するために、何としても格を持つことが必要とされた。
そこで、登場するのが藤原姓である。
藤原家の猶子となることで、藤原秀吉を名乗り、後に豊臣秀吉となり征夷大将軍には就けずも関白太政大臣として天下を掌握することに成功した。
豊臣は、豊の臣である。
日本の歴史には、常に「藤原」という姿が見え隠れする。

日吉神社「豊臣秀吉」伝説

七尾市の初詣では、やはり山王神社でしょ!!

七尾市民がお正月の初詣に出かける神社の№1は、山王神社「山王さん」である。
七尾市山王町にある山王神社は、七尾市三大祭のひとつ「青柏祭」でも知られ、石川県の神社庁の説明にも「文明5年畠山修理大夫義統青柏祭に曳山を奉納す」とある。
畠山修理大夫義統は、能登国守護であり七尾城の城主であった。
青柏祭は、日本一のデカ山と呼ばれる山車が3台登場し、本神社を中心に3日間市内を引き回す有名な祭りである。
また、小丸山城主「前田利家」も、「社殿を再建し古格の祭礼を再興する」ともある。
利家の金沢入りは、1583年(天正11)であることから、利家が小丸山城の時代であったと推測される。
山王さん(さんのうさん)の歴史は深い。
初詣は、その歴史ある山王神社がお勧めです。


2件のコメント

桜の名所「小丸山城址公園」と前田利家が築いた出世の象徴「小丸山城跡」 · 2023年1月14日 1:05 PM

[…] 無料駐車場から「花嫁のれん館」の方に利家と妻・芳春院(まつ)の銅像「前田利家松子之像」が設置されている。NHK大河ドラマ『利家とまつ』放映が結成された2001年(平成13)に姿を現した像は、七尾市の新しい観光スポットになった。前田利家は、織田信長の家臣として後の豊臣秀吉、越中の佐々成政と共に出世争いを繰り広げた事でも知られる。最終的には、格下である秀吉の風下に立つことになるが、織田信長の北陸侵攻に伴い、越前攻めにて越前府中三人衆として所領を与えられたことから快進撃が始まる。加賀能登侵攻時には、一向宗との戦いにて功を挙げ能登国の主となり、その後、秀吉の天下取りに大きく貢献することから、遂には、加賀百万石の太守となる。企業にて出世を望む皆さん。出世の象徴「前田利家とまつ像」を訪れてみてはいかがでしょうか。そして、天下を目指す方は、秀吉伝説「山王神社」としても慕われる大地主神社をお勧めします。 […]

上杉謙信が苦戦した「七尾城の戦い」が物語る能登七尾城 · 2023年9月28日 5:54 PM

[…] 畠山氏のルーツは、北条氏により命を奪われた(畠山重忠の乱)畠山重忠の後継として、畠山家を受け継いだ源義純足から能登畠山氏の歴史は始まる。もともとは、坂東八平氏の一つである「秩父平氏」の流れを汲む源氏の家であった。七尾城址のある能登国は、加賀国より早く建国された歴史があり、「山王神社」「七尾城址」「小丸山城跡」を中心に歴史を研究すると、およその七尾の形が見えてくる。 […]

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