親指武蔵「新納忠元」の戦い

“義弘、秀吉に拝謁“
大口地頭「新納忠元」が、実質上敗戦の報を受け取った。
義弘が、遂に薩摩安堵に続き、大隈、日向一部を秀吉に認めさせた。
「三州は。安堵された。されど・・・」
宮之城には、まだ義弘の弟「島津歳久」が降伏しておらず、薩摩には、未だに、
秀吉軍と、もう一戦の声が高まっている。
〈どうする・・〉
忠元は、鬼武蔵と呼ばれ、精強な島津の中でも最高峰と認められており、
義弘が秀吉に拝謁した今、忠元が支えであった。
忠元が迷うその時、守護の義久よりの使者が到着した。
忠元が書状を読み終わり、使者に告げた。
「仰せのお通りに。と」
そして、宮之城より大口へ兵を進める秀吉に拝謁。
秀吉は、鬼武蔵こと「忠元」の謁見を喜んだ。
〈義弘、そして「鬼武蔵」を遂に降したか・・〉
満足気な秀吉は、忠元に一つ問い掛ける。
「武蔵よ、この秀吉にまだ歯向かう気は残っておるのか」
意地の悪いこの問いかけに、忠元は堂々と応える。
「守護の義久様が、戦うというのであれば、今からでも」
それを聞き秀吉は、さらに喜んだ。
秀吉は、農民出ということから、家臣に対してのコンプレックスを持っている。
そのためか忠元の言葉を喜び、守護の義久を羨んだ。
これを機に、秀吉が九州から撤収し、九州征伐が終わりを告げる。

鬼武蔵「新納忠元」を祭神とする忠元神社

島津家の庶流でもある新納忠元は、島津家臣団の中でも家老の格を担う家柄である。
忠元は、島津貴久、義久、義弘兄弟の二代に渡り島津家臣団の中でも最も活躍した一人であった。
三州統一戦、九州制覇戦に常に参戦し、その「武勇は鬼神の如し」と評される。
また、戦国シミュレーション小説「薩摩の風に送られて」 第二章・10・薩摩よりの使者の中でも、島津の天下三分の計により手を組んだ「伊達政宗」への使者としても見られるように、交渉術にかけ文武両道の武将であったことが窺える。
戦場に手の武勇伝が多い忠元であるが、忠元の武勇伝は、それにとどまらない。
有名なのは、秀吉の九州平定後のエピソードである。
義久、義弘が降参後、止むを得ず武装解除をし秀吉に拝謁した時の事であった。
秀吉が忠元に対し「まだやる気があるのか」との問いかけに、忠元は、主君「義久」が戦えばやりますよと返している。
また、秀吉の側近「細川幽斎」が、忠元が白髭を手でもち上げながら酒盃を呑み干した様子を見て、「鼻の下にて鈴虫ぞなく」と詠んだ。
すると忠元は、「上髭を ちんちろりんとひねりあげ」と上の句をつけて返歌する。
それには、居並ぶ他の諸将も大いに感心した。
恐らく、薩摩の田舎侍には・・と腹の内では思っていたのでは。
知勇兼備の武将「新納忠元」であったが、
天保年間に伊佐七ヶ郷は凶作による貧困から脱却するために大規模な村起しを行った。
そして、大口地頭であり知勇兼備の武将「新納忠元」を精神的拠所として「忠元神社」を創建する。
旧大口市である伊佐市には、今でも新納忠元の物語と精神が受け継がれている。

新納忠元公廟所

新納忠元の子孫の俳優「新納慎也(にいろしんや)」

NHK時代劇『風雲児たち〜蘭学革命篇』で杉田玄白役。
真田丸 (NHK大河ドラマ)で豊臣秀次役。
そして、2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に阿野全成役で出演。
ミュージカル界の異端児」と称されるらしいですね。


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