富山 「日石寺」の歴史
725年(神亀2)に行基が開くことから始まり、立山の山岳信仰として現在まで続いてきた大岩山日石寺(おおいわさんにっせきじ)。
日石寺創建の指揮を執ったのは、前田利長の菩提寺「瑞龍寺」と同じく名匠「山上善右衛門嘉広」。
本尊である大岩日石寺磨崖仏は国指定重要文化財として有名である。
磨崖仏(まがいぶつ)とは、石仏の一種であり、日石寺の磨崖仏には不動明王像、矜羯羅童子像、制咤迦童子像、阿弥陀如来像、僧形像の5体が彫刻されている。
ここ現在の上市町も上杉軍と一揆軍が激しく激突し、日石寺も兵火にさらされ焼失した記録が残される。
残念ですが、ここでは、磨崖仏の画像は掲載しません。
「日石寺」には、「六本滝」 などのパワースポット
境内には、一切衆生の六欲・根本煩悩を断つとされる「六本滝」があり、滝に打たれる荒行で「六根」清める。
もともとは、心身を清めて不動尊を参拝するために造られ滝であり、六大(地、水、火、風、空、識)を型どった滝に打たれることにより、六欲煩悩を洗い落とすことがで出来ると言われる。
その他、メグスリノキのお茶、日石寺の藤水[富山県名水百選]など、家族でも楽しめる魅力あり。
立山アルペンルートもお勧め
大岩山日石寺のある上市町からは、立山アルペンルートも近く富山「岩峅前立社壇(まえだてしゃでん)」は、観光コースとしてお勧めです。
2件のコメント
前田利常の想い、前田利長の菩提寺「瑞龍寺」高岡市 · 2022年11月1日 9:17 PM
[…] 曹洞宗高岡山「瑞龍寺」の歴史は、江戸期の加賀藩初代「前田利長」公の菩提寺として二代「前田利常」によって建立されたことに始まる。前田利長は、加賀藩祖「前田利家」の嫡男として加賀百万石の太守となり、加賀藩の礎を築いた大名である。1609年(慶長14)一時的に魚津城に入るが、その後「高岡城」を築き正式に高岡へ移った。死後は、加賀藩二代「前田利常」が利長のために広大な寺域を誇る瑞龍寺を創建するが、利長への想いの強さが伺える。そして、瑞龍寺創建の指揮を執ったのが、名匠「山上善右衛門嘉広」であり、善右衛門は、瑞龍寺のほかにも羽咋の「妙成寺」、富山県上市町の「日石寺」、小松の「那谷寺」などを手掛けている。国宝に指定された山門、仏殿、法堂、そして、国の重要文化財に指定された総門など素晴らしい寺院は一見の価値あり。また余談ではあるが、この寺院の隠れネタとしては、東司(とうす)とは、寺院における便所のことであるが、烏瑟沙摩明王が祀られているのも面白い。 […]
物部氏の伝説が残る高岡市「物部神社」と「ニギハヤヒ」 · 2023年1月29日 1:53 PM
[…] 富山県高岡市にあった「物部神社」(もののべじんじゃ)高岡の物部神社(富山県高岡市東海老坂)の歴史は、第八代「孝元天皇」(こうげんてんのう)の時代、第一皇子であり四道将軍の1人であった大彦命(おおひこのみこと)が北陸に派遣されたことに始まる。この時、物部一族らもこれに従い北陸へ。さらに、大伴家持と共に越中国入りした物部一族が、物部の祖神を拝見し喜んだことが伝えられることから、既に「物部神社」の前形があったと考えられる。物部氏は、謎多き人物として知られるが、神武天皇よりも前に大和入りをした「饒速日命」ニギハヤヒが祖先と伝わる神別氏族。物部神社というと奈良の「石上神宮」(いそのかみじんぐう)である。前田利家は、菅原道真(すがわらのみちざね)の後裔にて菅原氏を称しているが、一方、物部の末裔とも称していたとの噂もあり、また、前田利長公は、守護神としていた物部八幡宮を遷座する名目で、卯辰山麓に卯辰八幡宮を建立した。物部八幡、海老坂八幡と呼ばれ、八幡宮を併祀。 […]