加賀「大聖寺城」の歴史

大聖寺城の歴史
大聖寺城の歴史は、南北朝時代から始まる。
鎌倉時代に狩野氏によって築かれ、越前「朝倉氏」と加賀江沼「一向一揆」間で争われた戦国時代初期、織田信長、豊臣秀吉時代の戦国末期、そして江戸期の大聖寺藩時代と数々の暦に登場する。

大聖寺城があった「 錦城山 」

関ヶ原の戦いにおける大聖寺城

1600年当時の大聖寺城は、山口宗永である。
この永宗は、何とあの「小早川秀秋」の家臣であった。
慶弔の役の時、秀秋が秀吉の怒りを買い筑前から越前に転封された。
その時に、秀秋の家臣であった宗永も従い大聖寺城主となっている。
しかし、その後は、秀吉の直臣となって正式に大聖寺六万石の国持大名となる。
そして1600年の関ヶ原の戦いと同時期、徳川家康への旗幟を鮮明にした加賀の前田利長が中央へ進軍するために小松、加賀へ侵攻。
小松城主の丹羽長重を破り、加賀大聖寺城へ攻めかかる。
山口宗永、修弘、弘定の親子は、利長の降伏勧告を拒否し奮戦するも遂に降参の意思を示すも拒否される。
戦国の男「玄蕃宗永」は、嫡男「修弘」と自害し大聖寺城は陥落する。

大聖寺藩3代当主「前田利直」の休息所「長流亭」

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