城主「佐々与左衛門 」 が守る龍ヶ峰城に「前田秀継」が攻め立てる

加賀・越中(現在の石川県と富山県)の境界である津幡町の倶利伽羅峠に築かれた『龍ヶ峰城』(城ヶ峰ともいう)。
北国街道(旧北陸道)沿いに存在する「龍ヶ峰城跡」は、戦国期の前田・佐々抗争の舞台にも登場し、越中の佐々成政の加賀侵攻時の前線を担っていた。
当時、龍ヶ峰城を守っていたが、後の「末森城の戦い」にも登場する「佐々与左衛門」である。
佐々与左衛門が守る龍ヶ峰城に前田利家の弟「前田秀継」が攻め掛け攻略。
以降、前田家の城となるが江戸期には、この城の重要性もなくなり廃城となる。
現在は、「龍ヶ峰城址公園」として整備され、晴れた日には、河北潟、内灘砂丘、日本海を一望可能で、遊歩道も整備されれおります。

佐々成政が改築した「龍ヶ峰城址」 へ

越後の龍「上杉謙信」も攻め寄せた「龍ヶ峰城」

前田利家と佐々成政が争った「前田・佐々抗争」からさかのぼる事10年。
越後の龍こと「上杉謙信」率いる越後軍が、遂に上洛のため越中から加賀・能登へ侵攻を開始した。
能登七尾城の攻略に向かう謙信は、併せて旧北陸道(北国街道)における津幡町・倶利伽羅の城を攻略。
ここ、龍ヶ峰城も攻撃対象となっている。
そして、龍ヶ峰城、七尾城など能登を攻略した謙信は、南進し織田信と激突。
手取川の戦いが勃発する。

あの上杉謙信率いる越後勢も攻め寄せた「龍ヶ峰城」

周辺の観光スポット

龍ヶ峰城の周辺には、一乗寺城跡倶利迦羅不動寺新鮮野菜を栽培する三州農園農園直売所など隠れスポットが数多く存在します。

立山連峰を望む
晴れた日には、日本海を一望


1件のコメント

倶利伽羅城と倶利伽羅堡の謎を解く · 2022年4月29日 7:09 PM

[…] 倶利伽羅城(くりからじょう)と倶利伽羅堡(くりからほう)の存在。河北郡史にも「倶利伽羅堡址 今其地に詳にせず・・」とある。倶利伽羅の東には、小矢部方面に源氏ヶ峰城が存在し、当然頂上に近い倶梨伽羅には、城があっても何ら不思議ではない。しかし、「倶利伽羅峠の戦い」のあった1100年代は、平維盛が猿ケ馬場に本陣を置いたことから、特に城としての機能ではなく、砦レベルに過ぎないと想定出来る。また、1500年代の豊臣秀吉の佐々成政征伐「富山の役」には、成政が国境封鎖をしたと越能賀三州誌に記録が残る。以上のことから、倶利伽羅にあった要塞は、倶利伽羅城ではなく、正式には、倶利伽羅堡であったと思われる。佐々成政は、倶利迦羅不動寺、手向神社がある「倶利伽羅堡」と田近越の脇道を押さえる「一乗寺城」で加賀越中国境を固める。対する前田利家は、津幡城、朝日山城を固めた。 […]

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