織田家の勢力を引継いだ秀吉を許せない成政は、反秀吉派結成を決意する。
自身が旗頭にはありえないと悟った成政は、適任者を探る。
内心は秀吉の天下を喜ばず、秀吉に対抗出来る実力者。
やはり、徳川家康しかいなかった。
しかし家康は、前年の小牧・長久手の戦い後、秀吉と和睦し、表面上は臣従する姿勢を装っている。
もう一度、腰を上げてもらうしかしない。
しかし、家康がいる浜松までは秀吉の警戒網が厳しく困難である。
そこで、成政は決意する。
立山、ざら峠(現在の「北アルプス」圏内)を超え東海浜松に出て家康に会う。
これが有名な佐々成政の「さらさら越え」である。
そして成政は、厳寒の中に家康がいる浜松に向かって、さらさら超えを決行する。
しかし、その結果は残念なものであった。
”家康動かず”
成政は失望の中、富山城に帰還する。
越飛戦国物語・本文第1章へ 第1章~埋蔵金の行方!金森長近、向牧戸城攻め
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