1.越前戦国物語・第4章~朝倉氏の一乗谷へ攻め寄せる織田信長

既に、ここ一乗谷では、朝倉義景(あさくらよしかげ)敗走の噂が広まっている。
京にも劣らぬ朝倉氏の本拠『一乗谷』は、略奪する者、逃げ惑う者で混乱状態となっている。
そこに、今回従軍拒否した従弟「朝倉景鏡」(あさくらかげあき)が姿を現した。
景鏡は、朝倉一族の筆頭格の武将でもある。
「殿、ここは、もう危のうござる」
「落ちられよ」
疲労が充満した顔の義景が静かに答える。
「どこへ行けと申すのじゃ」
景鏡は、東を指差す。
「我が越前戌山城に入られよ」
越前戌山城(えちぜんいぬやまじょう)は、景鏡の居城であり、間もなく織田軍が迫ってくる一乗谷よりは、混乱していない。
義景は、正直諦めかけていた。
義景は、気高い分に粘りがない。
この性格が、戦国乱世で明暗を分けた。
暫く時が過ぎ、義景は重い腰をようやく上げた。
「大野へ行こう・・・」
景鏡が先頭となり、義景一向は越前大野へ向う。
それから暫く、一乗谷の空に真っ赤な炎が上った。
ここに朝倉氏五代が築いた王国「一乗谷」が落城する。

特別史跡・一乗谷朝倉氏遺跡「朝倉館跡」

2.朝倉氏五代が築いた『一乗谷朝倉氏遺跡』

福井の名門「朝倉家」が築き上げた一大文化王国、朝倉氏の『一乗谷』。
旧北陸道と並行した山道が現在の南越前町まで続く古道「朝倉街道」の存在から、京都へのアクセスを意識した国造りとなっている。
また、「朝倉館跡」背後にある「一乗谷城跡」は、戦国初期からの山城の特徴を持つ戦時のみの機能で、朝倉館跡と一乗谷朝倉氏庭園(国の特別名勝)を含む一乗谷の敷地内の規模を考えると、朝倉家の文化レベルの高さが伺える。
1967年から発掘調査された一乗谷朝倉氏遺跡(福井県福井市城戸ノ内町)は、2007年には特に調査が進み国の重要文化財・特別史跡・特別名勝に指定された。
福井豪雨を知らずに翌日(?)に一乗谷を訪れた時には、通行道など大被害を目にし、悲痛な思いをしたことを覚えている。
その後、復興した姿を見ることが出来て安堵した。
そんな「北の京都」と謳われた一乗谷は、400年経った今もなお『一乗谷朝倉氏遺跡』として福井県民と共に生きている。

一乗谷の敷地内

3.一乗谷朝倉氏遺跡の見どころ

2019年、日本遺産に認定された一乗谷朝倉氏遺跡の見どころは沢山ありますが、その一部をご紹介。
まずは、定番の一乗谷朝倉館(いちじょうだにあさくらやかた)。
訪れた観光客の殆どが記念撮影するのが、一乗谷朝倉館の「唐門」である。
朝倉館は、朝倉家最後の当主「朝倉義景」が実際に普段の生活館として利用していたと伝えられる。
朝倉館自体は、平地にあるが戦時には裏手の山城にて籠城も可能とした。
また山城に向かう途中には、「朝倉義景公墓所」、そして国の特別名勝「湯殿跡」、「南陽寺跡」が見学出来る。
次の見どころは、武家屋敷や町屋などが復元された「復原街並」である。
映画村のようなタイムスリップ感覚で楽しめる空間であり、かつては、室町幕府最後の将軍となる「足利義昭」がこの一乗谷に暫く滞在していたことは有名である。
最後は、やはりこの文化王国の境界となる「下城戸」だ。
谷の地形を利用して作ったこの城戸は、狭くなった場所を利用し、10トンを超す石積みは圧巻である。
その他周辺には、「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館」、佐々木小次郎が修行をしたと伝わる滝「一乗滝(いちじょうだき)」があり1日がかりでドップリ楽しめる一乗谷朝倉氏遺跡だ。

⑤悲劇!景鏡の裏切り★洞雲寺(福井県大野市清滝)


2件のコメント

犬山城主「朝倉景鏡」の黒歴史と天空の城・撮影スポット「越前戌山城」 · 2023年1月21日 8:34 PM

[…] 織田信長と朝倉義景の争いも、信長優勢のまま勝負は終盤に差し掛かった。序盤は、朝倉軍が戦いを優勢に進めていたが、義景の甘さが仇となり織田軍が巻き返したのである。1573年(元亀四/天正元)、遂に刀根坂の戦いにて大敗を喫した朝倉軍が一乗谷に向かって敗走を始めた。そして、これを追撃する信長の行動も素早かった。間髪入れずに一乗谷(現在の一乗谷朝倉氏遺跡)へ雪崩込む。ここまでくると朝倉家の負けは、九分九厘確定的であった。朝倉家当主「義景」としての選択肢は、同盟国へ落ち延び再起を果たすか?または、自害するか?義景の答えが出る前に、従弟の朝倉景鏡(あさくらかげあき)が姿を現した。本来であれば、まずは、景鏡の犬山城へ迎え入れる事が考えられるが、景鏡は、僅かな配下のみを引き連れ洞雲寺、そして賢松寺(六坊賢松寺)へ身を隠すことを進言。その状況を不審に思った義景は、景鏡の裏切りを悟り自害する道を選択したのである。景鏡はというと、織田信長に仕え、信長から一字を貰って「土橋信鏡」(つちはしのぶあきら)と名前まで改めた。その後、景鏡は、一向宗により討ち取られ、また、息子達も捕らえられ処刑されるといった哀れな結末となった。織田信長との一大決戦「金ヶ崎の戦い」では朝倉景恒の後詰に対し日和見。そして、刀根坂の戦いも病気を理由に参陣せず。そんな景鏡に「日のもとに かくれぬその名あらためて 果は大野の土橋となる」と不名誉な歌が詠わるなど後世に汚れを残すことになる。朝倉景鏡の黒歴史であった。 […]

福井「一乗滝」で生まれた「佐々木小次郎のツバメ返し」 · 2023年1月22日 1:57 PM

[…] 足羽川(あすわがわ)支流である一乗谷川に、その姿を見せる一乗滝(いちじょうだき)。一乗滝(福井県福井市浄教寺)があるこの地は、717年(養老元年)白山を開山した高僧「泰澄大師」が、滝の上流に滝水山浄教寺を開山し白山大権現を祀ったと伝えられることから、古より修験道の地とされていた想定される。一乗滝へ行くには、一乗谷朝倉氏遺跡から「一乗山」方面へ東へ進むとバーベキュー場「一乗滝・小次郎の里ファミリーパーク」がある。周辺に駐車場(10台程度)があり、そこから徒歩で一乗滝へ向かいますが、途中に「宮本武蔵との決闘」で有名な「佐々木小次郎像」が建っている。 なぜここに「佐々木小次郎」(ささきこじろう)が?その答えは、佐々木小次郎像を、さらに進むと見えてくる「一乗滝」で秘剣「ツバメ返し」を編み出したからである。落差15M程あるこの滝にて、剣豪「佐々木小次郎」が日夜修行に励んだそうであるが、真実はいかに?ちなみに、熊本藩士「豊田正剛」が記録し、江戸時代中期になり整理された「二天記」によると、「岩流(佐々木)小次郎」は、「越前宇坂の庄、浄教寺の産」という記述がある。 […]

犬山城主「朝倉景鏡」の黒歴史と天空の城・撮影スポット「越前戌山城」 へ返信する コメントをキャンセル

アバタープレースホルダー

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です