京に事件が起こる。
松永久秀が、将軍「足利義輝」を謀殺した。
これを期に、室町幕府が確実に崩壊へ動き出す。
義輝には弟がいた。
その名を義秋、後の将軍「足利義昭」である。
義秋は京を脱出し、越前の名門「朝倉家」の下へ落ち延びた。
朝倉家は、これを擁護し義秋は、義昭と改名する。
義昭の目的は、この大大名朝倉義景の力を頼り、京へ復帰後、将軍職を継ぐ事にある。
しかし、義景にその気はなかった。
義昭は、再三の上洛を促すが義景は動かない。
遂に業を煮やした義昭は、尾張の実力者、織田信長の下へ去ってしまう。
その後義昭は、信長と共に上洛し、十五代将軍となるが悲哀な運命が待ち受けていた。
義昭が、信長を利用したのではなく、利用したのは信長の方であった。
信長は将軍を名ばかりのものとし、横暴を尽くす。
自らが将軍となる事を目指し、近江の名家浅井家など、中央諸国を制圧する。
そして、その魔の手は、静かにて治まる国「越前」の朝倉家にも伸びるのであった。

①国境震撼!加賀江沼一向宗★吉崎御坊(福井県あわら市吉崎)


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