時は、1599年。

反映していく城下町、太平を迎えた町民の顔。

この時が、大城下町を形成した「加賀百万石城下町」、利家生涯の泰平期であった。

しかし、それも長くは続かない。

天下人であった太閤秀吉の死。

これを期に利家の一抹の不安が的中していくことになる。

利家の脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。

徳川家康である。

家康は間違えなく、天下取りにはしるは必定。

その前に。

利家は嫡男利長、次男利政を呼んだ。

嫡男、利長は伏見に残り、秀頼の補佐をすること。

次男、利政は加賀を守り、有事に備えること。

利政は武断派である。

当然の如く、家康が動けば前田家として家康と戦うことを主張するであろう。

しかし、利長は、利家の遺言を守らず加賀に帰り徳川方に加担。

北陸・小松にて反徳川方と戦うことになる。

結局のところは、関ヶ原の戦いの本戦には間に合わなかったが、遅れ家康のもとへ駆けつける。

その時、利政は兄利長の出兵要請を断った。

土佐守利政、出兵せず。

その後、関ヶ原の戦いに勝利し、後に天下人となる「徳川家康」から、所領没収のを宣告される。

利長の優柔不断な行動に嫌気が差した、また、利長と図り、関ヶ原の戦いにいずれがが勝利しても、前田家が存続する手段を選択した。

など、その理由は定かではない。


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